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2013年 01月 22日

閉ざされた記録 - 03  万字曙町

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万字曙町 / 1998年10月3日


(旅は前回の続きである)

北炭真谷地炭鉱の撮影の後、夕張本町に寄り、
再開発前の古い商店街を歩いた。

衰退振りが酷い状況だったが、あまりシャッターを切っていない。
今想えば、「何故、写さなかったのだろう?」と後悔もするが、
廃墟然と化した街も人々の暮らしが営まれていて、
そこが撮影の分かれ目だったのだと想う。

その後、車窓下から石炭の歴史村を確認しつつ、万字炭鉱へ。
国道から細い脇道で川の流れる谷合いに降りると、
僅か残された民家と解体された果てに残った炭鉱施設。

約1キロの谷間は、万字旭町・万字曙町・
万字睦町・万字仲町・万字幸町と目まぐるしく変わり、
大きなが町があったことをうかがわせる。
先に見た夕張以上に、ここは過去の町の様相を呈し、
何ともいえない寂しさの空気に支配されていた。

当時撮影した壊れかけの民家は、冬期の積雪により完全に崩壊し、
後ろの高台に見える万字会館も、解体され姿を消している。


   ◇     ◇     ◇     ◇


独立系の炭鉱会社が開発を進めたが、山間部の僻地であり生産した石炭の輸送目途が立たなかった。
そのため夕張で展開していた北炭が1903(明治36)年に事業を引継ぎ(譲渡)、2年後に本格操業を開始する。
炭鉱名は開発者の朝吹家の家紋『卍』にちなみ『万字炭鉱』とした。

当初夕張方面としていた鉄道敷設を断念し、岩見沢方面に変更。
1914(大正3)年に、万字軽便線(後の国鉄万字線)が難工事を経て開通してから出炭量が増加する。

しかし複雑で脆弱な地質であったため出水量が多く生産が安定せず、
1960(昭和35)年には経営分離・子会社化され、万字炭鉱株式会社となる。
1976(昭和51)年の台風6号による出水事故で主力坑道水没が致命的となり、
復旧できないまま閉山となった。

現在、旧万字炭鉱の周辺は森林公園として整備され、
植林されたズリ山と、施設の構造物が僅かに残っている。



  
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by mori-to_coa | 2013-01-22 00:00 | Return 1996-2003


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