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2007年 01月 21日

浦幌炭鉱専用軌道・常室川橋梁跡

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2004年5月5日・北海道十勝郡浦幌町字炭山


『黒いダイヤ』といわれた石炭を求めて人々が集まる、
そういう時代が確かにあった。

しかしエネルギーが石油、そして電力へと変化し、
石炭は急激に輝きを失くす。

炭鉱が閉ざされ、人々が暮した街が消えた。
その施設の一部が、この地の歴史を伝える墓標。


                          ●OLYMPUS CAMEDIA C-300zoom


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


浦幌炭鉱は1918(大正7)年、大和鉱業(株)が開発に着手する。
送炭のため馬車軌道を根室本線・浦幌駅(国鉄)まで建設するが開通には至らなかった。
1921(大正10)年には大戦後の不況で休山に陥る。

景気が上向きだした1933(昭和8)年に再開され、ようやく出炭が本格的になる。
炭山へ入る専用鉄道の工事もはじまったが、
1935(昭和10)年の豪雨などの影響で開通は実現しないまま、
1936(昭和11)年、三菱鉱業(株)に買収され、雄別炭礦鉄道(株)の尺別鉱業所の管理下となる。
送炭の問題は索道で山越しに尺別までを炭車で送る方法を考え出し、出炭量を急増させることに成功した。

1942(昭和17)年には専用鉄道の尺浦通洞(約6㎞)が完成。
出炭量もさらに伸びることを期待していたが、
太平洋戦争末期の坑夫の強制配転により、また休山に追い込まれる。

1948(昭和23)年、みたび採炭を開始し、出炭22万トンまで回復するが
その後、出炭量増加の要因だった朝鮮戦争後の反動不況で石炭が売れず、
1954(昭和29)年10月、閉山となった。
 
 
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by mori-to_coa | 2007-01-21 23:45 | 2004


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