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カテゴリ:2007( 61 )


2009年 01月 05日

中島鉱業所跡地

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2007年11月04日・北海道足寄郡足寄町茂足寄


神々への畏敬
それが在りし日の日本

残された信仰に
姿なき集落(まち)を知る


                          ●Canon EOS KissDN + EF10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


九州の産炭地の記録に中島鉱業所の名を見ることができるが、
この地で石炭を産出していた同鉱業所についての詳細は不明である。

遺構については居住区とともに閉山後もかなりの間残っていたと聞くが、
今は写真の鳥居があるのみである。

  
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by mori-to_coa | 2009-01-05 10:30 | 2007
2009年 01月 03日

鴻之舞小学校跡

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2007年11月04日・北海道紋別市鴻之舞元町


残された学舎に、
この地につづられた記憶を
見る。


                          ●Canon EOS KissDN + EF10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


1918(大正7)年に元山の鉱夫浴場を改修した仮教授場で授業を開始。
鉱山施設や社宅の変動とともに翌年には鴻之舞に場所を移し、1921(大正10)年に尋常小学校となった。
校舎は鉱山の発展による児童数の増加にあわせ増改築を重ね、
1942(昭和17)年には約1600人(31学級)と網走管内最大規模となった記録もある。

常に鉱山の変動に左右され、鴻ノ舞鉱山が閉山となる1973(昭和48)年、廃校になった。

 
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by mori-to_coa | 2009-01-03 01:00 | 2007
2009年 01月 02日

旧 鴻紋軌道

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2007年11月04日・北海道紋別市鴻之舞喜楽町


消えた黄金郷の栄華を、
地図に見つける。

ただ町並みはほぼ失われ
金を運び、人々の生活を支えた鉄路も、
流れた時間の中に消えようとしていた。


                          ●Canon EOS KissDN + EF10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


紋別と元山(鴻之舞)を結んでいた簡易軌道。
開業は1943(昭和18)年6月、途中に9駅が存在していたが名称不明の駅もある。
また路線距離も不明で、廃止も1950(昭和25)年頃と残され記録・資料は少ない。
ただ鴻ノ舞金山で産出精錬された金や銀、
そこに暮らす人たちの生活の交通手段であったのは間違いないようだ。

 
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by mori-to_coa | 2009-01-02 01:00 | 2007
2008年 12月 30日

旧 北見札久留簡易郵便局

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2007年11月04日・北海道紋別郡滝上町


郵便局の看板をそのまま残した雑貨店。

移動中に見たその姿に、
スピードを緩めた記憶があった。

過ぎ去った歳月、
今は辺りに人影さえも見えない。


                          ●Canon EOS KissDN + EF10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


1941(昭和16)年、札久留郵便局として開局。
後年、簡易郵便局となり、1997(平成8)年に休止されたまま廃局となった。
その後は酒・タバコを扱う地域の食品雑貨店となっていたが、
現在では、それも閉店となっている。

 
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by mori-to_coa | 2008-12-30 00:00 | 2007
2008年 12月 23日

旧 下川鉱山

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2007年11月04日・北海道上川郡下川町班渓


ゆっくりと
しかし確実に
消えて行く

止まった時間と
止められない時間


                          ●Canon EOS KissDN + EF55-200mm 1:4.5-5.6Ⅱ


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


1933(昭和8)年頃に露頭が発見され鉱区整理が行われる。
1941(昭和16)年に三菱金属鉱山に事業が移され、その2年後から軍需鉱山として開発が促進された。
戦局が悪化すると休山を余儀なくされるたが、終戦後の1949(昭和24)年に操業を再開。
1963(昭和38)年の銅貿易自由化を、合理化で乗り越え国内有数の銅山となる。
最盛期には年産3万3000t、従業員も570人の規模となった。
     
しかし1982(昭和53)年に資源が枯渇し、
以前から経営を苦しめていた経費高騰・海外からの大量の原料輸入にも対抗できずに、
翌年の1983(昭和54)年に閉山となった。
現在でも、休廃止鉱山に多い重金属の流出防止のため職員が配置されている。

近年、鉱山施設解体が進んでいるが、
『浮遊選鉱』の設備の一部が露呈し、山肌にその姿を見ることができる。

 
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by mori-to_coa | 2008-12-23 00:00 | 2007
2008年 12月 16日

旧 珊瑠鉱業所

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2007年11月04日・北海道上川郡下川町珊瑠


緑深い道の奥に
確かにあった賑やかさの
証し


                          ●Canon EOS KissDN + EFS10-22mm 1:3.5-5.6Ⅱ


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


1926(昭和2)年、三井鉱山がサンル鉱業所を開設し、金の採掘を開始する。
戦時中の1943(昭和18)年に休山となるが、
1956(昭和31)年から合同資源産業が、再び採掘を始める。閉山は1986(昭和61)年。

この金鉱山は同じく町内にあった下川鉱山(銅)とともに、
基幹産業の一翼として下川町を支えた存在であった。

 
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by mori-to_coa | 2008-12-16 00:00 | 2007
2008年 12月 09日

幌内ダム

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2007年11月04日・北海道紋別郡雄武町字北幌内


記憶となった時間が、
失われる。

改修により、
新たな時を刻み始めた。


                          ●Canon EOS KissDN + EF55-200mm 1:4.5-5.6Ⅱ


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


隣り合う枝幸町・雄武町に北海道電力(北電)からの給電がされていなかた時代、
両町に電力を供給するため1938(昭和13)年に幌内送電株式会社が設立された。
水力発電をするためダム建設に着手したが、1941(昭和16)年の集中豪雨によって完成間近の堰提が崩壊。
その破損部を補うように外側に新たにダムを造らなくてならない事態となり、
完成は1954(昭和29)年となる。実に16年の歳月を費やした工事だった。
また発電所名は雄武発電所といい、最大出力は960kw。約1600戸へ給電していた。

1969年に北電に移管されたが、発電施設の一部が破損したため1972(昭和47)年に廃止となった。
その後、湖水が自由に流れるように写真の姿となりダム機能を失っていたが、
2008年からダム本体への新たな改修工事が進められている。

 
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by mori-to_coa | 2008-12-09 19:15 | 2007
2008年 12月 02日

旧 三井芦別鉄道炭山川鉄橋+DD501+セキ3000

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2007年10月07日・北海道芦別市中の丘町


終の姿が見せる
往時の躍動


                          ●Canon EOS KissDN + EF-S18-55mm 1:3.5-5.6Ⅱ


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


この鉄道は三井芦別炭鉱から石炭を運ぶためにつくられた。
1945年(昭和20年)営業を開始し、1949年(昭和24年)からは旅客輸送も行う。
その後、産業の衰退にともなう人口減や石炭輸送の自動車化によって、
1989年(平成元年)3月26日、すでに終了していた旅客扱いに続き石炭輸送も廃止され、44年間の歴史に幕を下ろした。
廃止後、ほとんどの施設は撤去されたが、芦別市が鉄橋とディーゼル機関車DD501+石炭車セキ3000を保存。
橋の上に展示するその方法は他にあまり例がない。
また国道452号の炭山川橋も同鉄道橋に平走する形であったが、
近年架け替えが行われ車両を間近で見るのが難しくなった。

 
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by mori-to_coa | 2008-12-02 00:00 | 2007
2008年 11月 25日

旧 北炭赤間炭鉱選炭工場

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2007年10月07日・北海道赤平市赤平


残された想いは、
伝わるのか…


                          ●Canon EOS KissDN + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


1938(昭和13)年に開鉱し、この選炭工場はその3年後に操業を開始している。
坑口から4㎞ほど離れていてため、専用軌道により原炭が運び込まれていた。

1965(昭和40)年に系列子会社の空知炭鉱に経営が移行。1973(昭和48)年に閉山となった。
敷地は赤平市が購入して、1999年に施設のほとんどが解体されたが、
一部が炭鉱産業を伝える遺産として残された。
現在はズリ山を含めて公園化されている。

 
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by mori-to_coa | 2008-11-25 00:00 | 2007
2008年 11月 18日

旧 住友赤平炭鉱立坑櫓

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2007年10月07日・北海道赤平市赤平


輝ける栄光に
影を落としたもの

それは世の中の流れか
それとも…


                          ●Canon EOS KissDN + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5
                                          + EF55-200mm 1:4.5-5.6Ⅱ


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


1859(明治28)年に北炭が操業を開始しその後、住友が経営を引き継ぎ、
戦後には、日本国内の石炭増産の必要性から重点的に資本が注入された。
それは複雑な地層からの採炭を行うためでもあり、
1963(昭和38)年には、現在残されている立坑と櫓が5年の歳月をかけ造られる。
それによって生産量は年間190万tにもおよび、北海道内の住友系炭鉱の中核となった。
他の炭鉱と同様に政府のエネルギー変換政策によって1993(平成5)年には閉山するが、
埋蔵量はまだ豊富にあるといわれる。

 
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by mori-to_coa | 2008-11-18 00:00 | 2007