カテゴリ:1996-2003( 33 )


2006年 11月 11日

三菱大夕張鉄道・南大夕張駅跡   ― 北海道夕張市南部大宮町 ―

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石炭産業が華やかだった時代、
炭鉱は鉄路を敷き、石炭だけでなく労働者とその家族を運んでいた。


■ #001 終着 ■


渋茶色の客車は遠くから見ても、圧倒的な存在感を主張している。
それは過ぎ去った『昭和』そのものであった。

車内のつくりも懐かしさを感じさせるもので、
木製のシートに冬の寒さを防ぐダルマストーブと、
何ともいえない姿がそこにあった。

   
ボーと眺めていると、
私の知らない当時の情景が目に浮かんで来るようで、


「見たかったなぁ… 」と、ぼそり呟いてしまう。


もう走ることはないのは明白だが、
その想いは、いつまでも消えなかった。


   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇


駅跡にはホームと客車、ラッセル車・石炭車が残されている。
一時期、ずいぶん荒れ果てていたこれらの車輛も、
現在は有志グループによって修繕され、保存活動が行われている。

【写真は、修繕保存以前の客車内】
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by mori-to_coa | 2006-11-11 00:00 | 1996-2003
2006年 11月 06日

住友奔別炭鉱立坑櫓   ― 北海道三笠市奔別町 ―

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地下へとつづく入り口は、閉ざされて。


■ #002 碑 (モニュメント) ■
     
     
想わず息をのむ光景がそこにはあった。

山間の小さな集落に、
鉄骨で50m以上にも組まれた無機質な櫓。
見る者の全てを圧倒する巨大建造物である。
     
それが表すこと、
ここは間違いなく炭鉱の街だったということ。

既に当時の活気は微塵もなく、
ここで営まれていた毎日の賑やかさは、
ちょっと想像しがたい。

30年以上前の閉山のとき、
坑口の密閉作業中に爆発を起こし、建屋の屋根がフッ飛んだ逸話が残っている。
当時は炭鉱(ヤマ)の怒りとして噂になったという…

わたしには今も残される立坑櫓が、
その怒りを押さえる碑(モニュメント)に想えてならなかった。


   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇


施設・敷地内への無断立ち入りはできないが、
遠くからでも一見の価値は充分にある。
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by mori-to_coa | 2006-11-06 00:00 | 1996-2003
2006年 11月 01日

落石無線電信局・送信所居住区   ― 北海道根室市落石西 ―

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深い緑に隠される歴史、つかの間の繁栄。


■ #003 残影 ■   ― 根室市落石西 ―


1931年(昭和6年)、あのシリウス号は根室にやって来た。

リンドバーグ(米)は北太平洋横断飛行の途中、
濃霧の中をこの局の誘導により根室港に着水。
市民からの賞賛を受けると、壮大な旅路の疲れを癒している。

街は歴史に残る偉業の1ページに登場し、
この施設は貢献したのだった。

移設廃止後45年を経過した現在、
改修されて姿を留めている局舎以外に、
建物らしきものは見当たらない。

居住区は建物の基礎部分だけが残っている状態で、
しかもその大部分が草で覆われいる。

いわれなければその存在に気づく人が、
ほとんどいないということも不思議ではなかった。
すでに遠い記憶に、なりつつある。     

そんな中で、藪に隠れる残骸の中で見つけたタイル張りの浴槽は、
小さなコミュニティの華やかりし頃の想い出であるかのようだった。


   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇


落石無線電信局は1908(明治41)年、おもに北米航路および付近を航行する船舶と、
無線電信を行うために設置される。
後に船舶・航空などのほか千島・樺太(現在のサハリン)・カムチャツカの陸上局(電信局・郵便局)
とも固定通信業務を行っていた。
業務は公衆電報・遭難通信・気象通報・航行警報および報時通信など多岐にわたる。

1931年(昭和6年)には、リンドバーグ(米)の偉業である北太平洋横断飛行の途中に、
シリウス号は濃霧の中をこの局の誘導により根室港に着水し、市民に来訪の歓迎を受けている。

大正時代以降に造られた施設は鉄筋コンクリート造の局舎と90m高をはじめとするアンテナ塔が5基(時代により変化)、
付属する長大な居住棟が5棟、格納庫・共同浴場など、
驚くことにテニスコートまでが存在して、職員の家族を含めてここで生活し、
日々の業務をしていたという。

現在でも改修された局舎(個人所有)と90mのアンテナ塔の基礎4基、
それに居住区の基礎を中心とした遺構が残っている。 

                                    (参考資料:落石無線電報局沿革史・北海道 無線のあゆみ)
 
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by mori-to_coa | 2006-11-01 00:00 | 1996-2003
2006年 10月 31日

中外鉱山   ― 北海道檜山郡江差町中外 ―

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見てはいけない世界に、迷い込む。


■ #004 秘密 ■


松前町から江差町へ向かう途中に「石崎」という集落があり、
ここから海と別れ山間へと進むと、マンガンを採掘していた中外鉱山へ行くことができる。
     
古くは「早川」と呼ばれていたが、企業の力とは地名までも変えてしまうらしい…
実に凄いものである。

しかしそれ以上に残された廃墟群は凄く迫力があり、
明らかに私を圧倒する。


想わず、「これが… 」と、


声を出してしまったほどで、
前後の確認もせずにブレーキを踏んだ。

カメラを持って撮り始めるが、
何だかまわりが気になってしょうがない。
私は今、見てはいけないものを見ているのではないのか?
そんな不安に襲われる。

まるで隠された『秘密工場』を、
発見してしまったかのような感覚、
誰かが監視しているような緊張感に支配された。

だがそんな観念も、並ぶ円筒形の焙焼炉を見ているうちに消えて行った。
何故なら沈黙して久しい様子が、
崩れ落ちそうな耐火レンガから知ることができたからだ。

歳月の経過がこの歴史を封印するかのように
施設を朽ちさせていたのだ。

やがて全てがなくなり、
土へと還って行く失われた古代文明のよう。

私は完全にその姿に魅了されていた。


   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇


1936年(昭和11年)に発見された鉱脈を八田鉱山が採掘し始めたが、
1943年(昭和18年)に中外鉱山となる。
主産物にマンガン、副産物に鉛・亜鉛・銀を産出し、
太平洋戦争時は軍需産業として、戦後は鉄鋼業を支える鉱山として栄えた。
しかしその後、金属不況によって1986年から休山している。
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by mori-to_coa | 2006-10-31 00:00 | 1996-2003
2006年 10月 26日

英橋   ― 北海道空知郡栗沢町(現・岩見沢市)万字 ―

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できるだけ当時の様子を想像する。

 
■ #005 視点 ■


最近は廃線や廃墟について書かれた本やガイドブックが、ずい分増えた。
地図や施設の概要について詳しいものが多く、本当にありがたい。
私はもう10年以上も廃墟・廃線の撮影をしているが、情報が少ない頃はわずかな資料(少し古めの地図が役に立つ)と感が頼りで、これはと想うところには躊躇うことなく足を延ばさなくてはならなかった。
そんな中で一番見つけやすいのは、やっぱり廃線跡である。

北海道では国鉄が民営化(JRに移行)される前に、全国に類をみないほど多くの路線が廃止された。
その何10㎞、時には100㎞以上にもおよぶ廃線の一部を、現地に行けば必ず見つけることができる。
何故かといえば細長い線路跡はそのまま放置されることがほとんどで、駅舎もほかの施設となり残っていることあるからだ。

それに道路と寄り沿うように鉄路が走っていたので、探さなくともそれと分かることもある。面白いのは廃止後の路床そのものが道になっていたりもする。
この場合は気づいていないだけで、すでにたどり着いているというわけである。

それ以外では炭鉱町だったところが廃墟を探しやすい。
昔栄えていたが閉山と共に一気に衰退したり、
現在の姿に至るまで多くの変遷がある場合が多いからだ。
坑口の変更や炭鉱施設そのもの移動によって、
街もあとを追うように変化していることもある。
そんなところは市街地の外れなどが廃墟や廃屋、遺構で溢れている。

それと旧産炭地域に行って忘れてならないことは、
橋があったらその上から周りを見ること、特に下をのぞくことである。
炭鉱は山間にあることがほとんどで現地に辿りつくまで、
川の流れる谷をいくつもやり過ごしている。
一見、何でもないように見える自然の中に、
以前使っていた橋桁やトンネル、コンクリート塊やレンガ積みの残骸があることが多い。

そう、この英(ハナブサ)橋も谷底にある万字炭山の集落を確かめようと、
現・英橋から見下ろした時に見つけた。

何とも味わいのある橋ではないか…

     
廃墟探しはどれだけ地形を「読む」ことができるかが勝負だと想う。
それができると、そこには壮大なノスタルジーが待っていてくれる。


   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇


1937年(昭和12年)につくられた英橋(二代目)は全長約80mの鉄筋コンクリート道路橋。
橋の両端に花をイメージした電燈が設置され、その洒落たデザインが当時の町の人たちの自慢であったが、
1969年(昭和44年)に道道拡幅の時に三代目の英橋が架けられ、役目を終えた。
1921年にかけられた初代・英橋は現存していないが、全長73mにも及んだ巨大つり橋で、
こちらも一見価値があったことは間違いなさそうである。
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by mori-to_coa | 2006-10-26 00:00 | 1996-2003
2006年 10月 21日

造船所群   ― 北海道根室市海岸町 ―

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栄華は記憶の中だけに存在する。


■ #006 記憶 ■


私の住むところは戦前、千島列島への物流の中継地として、
戦後は漁業・水産の街として栄えた。

その島たちを事実上失い、
各国の資源管理や公海での漁業規制が厳しくなるにつれ景気は深く沈み、
小さいながらも華やかだった街並みには、
廃屋や空地が目立つようになった。

街の象徴だった港も以前のような活気がなくなって久しいし、
数多く存在していた造船所は何時の間にか閉鎖され、無残な姿を見せている。

ここで多くの船が造られ、豊饒の海に向かったはずなのだが…
その痕跡もあとわずかのようだ。

     
繁栄の時代を生きた老人たちの 「昔は、凄かったんだぞ… 」という豪語、

そんな言葉も、住民みんなの記憶から消える日も意外に近いと感じた。


   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇


根室港には主に漁船をつくる造船所があったが、今は一つも存在していない。
古い木造廃船が敷地内に陸揚げされていたが、それも港湾改修で一掃されてしまった。
また港の水産物の取り扱いも、現在は細長い半島の反対側の花咲港が主力である。
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by mori-to_coa | 2006-10-21 00:00 | 1996-2003
2006年 10月 16日

三井芦別鉄道   ― 北海道芦別市中の丘町 ―

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その想いつきに感服…


■ #007 保存 ■


この様子を見たときの嬉しさったらなかった。

静態保存の展示としては、これ以上のモノはないかも知れない。
実際に使われていた沿線の絶景、炭山川鉄橋を残し車輛を置いてあるからだ。
それは今にも走り出しそうであり、走っているようにも見える。


「本当に、いいアイディア」


普通は無関係な街の公園などで保存され、
朽ち果てる間際に解体されるのがほとんどだからだ。

でもここでは当時の様子を想像するのではなく、
見ることができているように想える。
     
こんなことが他にあるだろうか?
     
本当に心の中が豊かになった瞬間であった。


   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇


この鉄道は三井芦別炭鉱から石炭を運ぶためにつくられた。
1945年(昭和20年)営業を開始し、1949年(昭和24年)からは旅客輸送も行う。
その後、産業の衰退にともなう人口減や石炭輸送の自動車化によって、
1989年(平成元年)3月26日、すでに終了していた旅客扱いに続き石炭輸送も廃止され、44年間の歴史に幕を下ろした。
廃止後、ほとんどの施設は撤去されたが、芦別市が鉄橋とディーゼル機関車+石炭車を保存し、
同鉄道OB会に維持管理を委託している。
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by mori-to_coa | 2006-10-16 00:00 | 1996-2003
2006年 10月 11日

炭鉱住宅群   ― 北海道空知郡奈井江町向ヶ丘 ―

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ここで、何を想う。


■ #008 空虚 ■


旧産鉱地で廃鉱を探していると、よく炭鉱住宅に出逢う。
それは人の住まないまま放置されていたり、
今でも地域住民の住まいとなっている。

例えば山間に朽ちかけて存在していたり、
人が住んでいても市街地の外れで古めかしく、
わりと規模が大きいものなどもそうである。
いずれも昔、炭鉱で栄えていたところでの話だが…

     
炭住の中では夕張市の木造長屋が有名だが、
全道的に残っているのは、ブロック積やモルタル造りが主体である。

奈井江町のこの住宅群もその一つで、
街の中心部から山間にあった炭鉱への道沿いに存在していた。
写真のようなアパートが10数棟も建っていて、
しかもその周りは田圃となれば、自ずと造った目的は限られるはずだ。

あまりの古さに最初は誰も住んでいないと想ったが、
撮影しながら歩いていると、全体の何棟かに人がいるのに気づいた。
しかもご老人ばかり…
ちょっと驚いたが昔、炭鉱で働いていた関係者なのだろうか、
余生をここで送っている。


「寂れても住み慣れてた、わが町わが家… 」、ちょっと切なくなってしまった。

     
何故なら、ここに新しく住もうと考える人がいないのは明白で、
やがて全てが廃墟と化すだろうから…


   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇


奈井江町の郊外にある鉄筋コークリート製のアパート群。
詳しいことは不明で、ひょっとしたら公営住宅かも知れないが、
1966年に閉山した三井奥奈井江炭鉱に近い立地にあることから、
炭鉱作業員の住居として使われたと考えて間違いない。

*追記:2007年の再訪でこれが三井炭鉱炭鉱住宅であることを確認。
 閉山後は町へ移管され1999年(平成11年)から順次、建替えがおこなわれて現存していない。
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by mori-to_coa | 2006-10-11 00:00 | 1996-2003
2006年 10月 06日

稚内港北防波堤ドーム   ― 北海道稚内市開運 ―

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歴史を感じさせない、歴史的建造物。


■ #009 回想 ■


圧倒的で巨大なコンクリート建造物に歳月を感じることは、
できなかった。
改修されたのだろう、目に入って来る地肌がそれを示している。

ちょっと腑に落ちないものを感じたが、
造形の美しさが、それを和ませてくれた。

     
造られた当時は線路がドームに沿って延びていて、
列車を降りた乗客が波しぶきや風雨をこの堅牢な廂で避け、
樺太へと向かう連絡船に乗船したという。

何とも浪漫を感じさせる話だが、
でもその全てが、今となっては遠い過去の出来事。

新し過ぎるコンクリートは何も語らない…

この防波堤は歴史ではなく、モニュメントのようだった。


   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇


高さ5.5mの防波堤を乗り越える波によって起きた船舶停泊の支障を防ぐために、
5年の歳月をかけて1936年(昭和11年)に完成した高さ13.2m、長さ424mにもおよぶ半ドーム型防波堤。
古代ローマ建築を想わせる太い円柱が特徴的な、世界でも類を見ない港湾施設である。
ドーム下が通路となり樺太への連絡船の乗船ブリッジまで続いていたが、
戦後は航路が途絶えて役目がなくなり、石炭などの資材置き場として利用された。
その後老朽化が進んで朽ちるところであったが、街のシンボルともいえるこのドーム防波堤は、
1981(昭和56年)に要望による改修復元工事(期間約3年)を終えて、ほぼ建築当時の姿を再び現した。
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by mori-to_coa | 2006-10-06 00:00 | 1996-2003
2006年 10月 01日

三菱美唄炭鉱   ― 北海道美唄市東美唄町一ノ沢 ―

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考え方は、いろいろあるけど…


■ #010 意識 ■


閉山した炭鉱施設を街の歴史・記録として残すことに何の問題もない。
だが部分的に改修されたり公園として整備されるのは、
やっぱり、いただけない。

以前も少し触れたが、改修することによって新たに時間(とき)が動いてしまい、
流れた過去を感じ難くなるからだ。

三菱美唄炭鉱もその1つで、
閉山後、大規模施設は放置され老朽化し、そのほとんどが解体されてしまった。
廃墟をそのまま残すのは安全・治安管理上、無理なのは解るとしても、
人のほとんど来ないところを公園として造成するのはどうなのだろう。

その目的は史跡の保全であるが、
植えられた樹木や新たにつくられた遊歩道を歩くことによって、
炭鉱(ヤマ)の栄枯盛衰を肌で感じとることができるのだろうか?

それだったら建造物はなくても、
コンクリートの基礎や壁のない鉄骨の骨組みだけを残す草薮の方が、
ずっといい。

その方が訴える力を感じられると想う。


   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇


1918年(大正7年)に57万tを出炭し、夕張炭鉱に次いで石狩炭田第二の生産規模にもなった炭鉱。
また年間産出量189万tの輝かし記録(1944・S19)もある。
しかし日本のエネルギー政策の転換と生産コスト高で、
ここも操業が困難になり、1972年(昭和47年)に閉山となった。
その後、巨大な施設はほとんど解体されたが高さ20mの立坑巻揚げ櫓2塔と、
貯蔵量1300tの原炭ポケット・施設への送電を管理する開閉所が、
『炭鉱メモリアル森林公園』として残された。
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by mori-to_coa | 2006-10-01 00:00 | 1996-2003