<   2006年 11月 ( 4 )   > この月の画像一覧


2006年 11月 21日

遠い記憶、忘れられた風景。

e0074643_2253345.jpg


SUMMARY


2005年11月25日~2006年5月23日まで『コア的・写真生活』としてUPしていたものを、
文章とカットの一部を再編集し、『遠い記憶、忘れられた風景。』という名を与えました。
これらの写真たちは1996年~2003年までにモノクロフィルムにより撮影したもので、
時間的な経過がありましたが、ひとつの形にまとめることを試みました。
これにより何らかの答えを導き出せたと想います。


その後、少しの空白期間がありますが、この産業遺産・廃墟を撮るというテーマは、
2005年よりデジタルカメラにより新たな記録が進められています。
これはBlog『北の大地の記憶へ』にて別な形でUPしていましたが、
2007年よりデジタルによる新たな写真を、
この『遠い記憶、忘れられた風景。』としてUPして行きたいと考えています。
かなりのスローペースであることを、お許し下さい。


                                      2006.11.21    Coa



SUMMARY・#001~034 ● 使用機材 & フィルム
   
PENTAX Z-1P + smc PENNTAX-FA zoom 28-105mm 1:4-5.6
SFXn + smc PENTAX-F zoom 28-80mm 1:3.5-4.5

FUJI NEOPAN400PRESTO
[PR]

by mori-to_coa | 2006-11-21 22:29 | インフォメーション
2006年 11月 11日

三菱大夕張鉄道・南大夕張駅跡   ― 北海道夕張市南部大宮町 ―

e0074643_751592.jpg

石炭産業が華やかだった時代、
炭鉱は鉄路を敷き、石炭だけでなく労働者とその家族を運んでいた。


■ #001 終着 ■


渋茶色の客車は遠くから見ても、圧倒的な存在感を主張している。
それは過ぎ去った『昭和』そのものであった。

車内のつくりも懐かしさを感じさせるもので、
木製のシートに冬の寒さを防ぐダルマストーブと、
何ともいえない姿がそこにあった。

   
ボーと眺めていると、
私の知らない当時の情景が目に浮かんで来るようで、


「見たかったなぁ… 」と、ぼそり呟いてしまう。


もう走ることはないのは明白だが、
その想いは、いつまでも消えなかった。


   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇


駅跡にはホームと客車、ラッセル車・石炭車が残されている。
一時期、ずいぶん荒れ果てていたこれらの車輛も、
現在は有志グループによって修繕され、保存活動が行われている。

【写真は、修繕保存以前の客車内】
[PR]

by mori-to_coa | 2006-11-11 00:00 | 1996-2003
2006年 11月 06日

住友奔別炭鉱立坑櫓   ― 北海道三笠市奔別町 ―

e0074643_20225057.jpg

地下へとつづく入り口は、閉ざされて。


■ #002 碑 (モニュメント) ■
     
     
想わず息をのむ光景がそこにはあった。

山間の小さな集落に、
鉄骨で50m以上にも組まれた無機質な櫓。
見る者の全てを圧倒する巨大建造物である。
     
それが表すこと、
ここは間違いなく炭鉱の街だったということ。

既に当時の活気は微塵もなく、
ここで営まれていた毎日の賑やかさは、
ちょっと想像しがたい。

30年以上前の閉山のとき、
坑口の密閉作業中に爆発を起こし、建屋の屋根がフッ飛んだ逸話が残っている。
当時は炭鉱(ヤマ)の怒りとして噂になったという…

わたしには今も残される立坑櫓が、
その怒りを押さえる碑(モニュメント)に想えてならなかった。


   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇


施設・敷地内への無断立ち入りはできないが、
遠くからでも一見の価値は充分にある。
[PR]

by mori-to_coa | 2006-11-06 00:00 | 1996-2003
2006年 11月 01日

落石無線電信局・送信所居住区   ― 北海道根室市落石西 ―

e0074643_19335556.jpg

深い緑に隠される歴史、つかの間の繁栄。


■ #003 残影 ■   ― 根室市落石西 ―


1931年(昭和6年)、あのシリウス号は根室にやって来た。

リンドバーグ(米)は北太平洋横断飛行の途中、
濃霧の中をこの局の誘導により根室港に着水。
市民からの賞賛を受けると、壮大な旅路の疲れを癒している。

街は歴史に残る偉業の1ページに登場し、
この施設は貢献したのだった。

移設廃止後45年を経過した現在、
改修されて姿を留めている局舎以外に、
建物らしきものは見当たらない。

居住区は建物の基礎部分だけが残っている状態で、
しかもその大部分が草で覆われいる。

いわれなければその存在に気づく人が、
ほとんどいないということも不思議ではなかった。
すでに遠い記憶に、なりつつある。     

そんな中で、藪に隠れる残骸の中で見つけたタイル張りの浴槽は、
小さなコミュニティの華やかりし頃の想い出であるかのようだった。


   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇


落石無線電信局は1908(明治41)年、おもに北米航路および付近を航行する船舶と、
無線電信を行うために設置される。
後に船舶・航空などのほか千島・樺太(現在のサハリン)・カムチャツカの陸上局(電信局・郵便局)
とも固定通信業務を行っていた。
業務は公衆電報・遭難通信・気象通報・航行警報および報時通信など多岐にわたる。

1931年(昭和6年)には、リンドバーグ(米)の偉業である北太平洋横断飛行の途中に、
シリウス号は濃霧の中をこの局の誘導により根室港に着水し、市民に来訪の歓迎を受けている。

大正時代以降に造られた施設は鉄筋コンクリート造の局舎と90m高をはじめとするアンテナ塔が5基(時代により変化)、
付属する長大な居住棟が5棟、格納庫・共同浴場など、
驚くことにテニスコートまでが存在して、職員の家族を含めてここで生活し、
日々の業務をしていたという。

現在でも改修された局舎(個人所有)と90mのアンテナ塔の基礎4基、
それに居住区の基礎を中心とした遺構が残っている。 

                                    (参考資料:落石無線電報局沿革史・北海道 無線のあゆみ)
 
[PR]

by mori-to_coa | 2006-11-01 00:00 | 1996-2003