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2008年 03月 25日

旧別海町(村)営軌道・釧路製作所 昭38製 自走客車

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2007年08月26日・北海道野付郡別海町奥行臼


コトコトと走る小さな車輛
緑萌ゆる原野を往く

古き時代のノスタルジア


                          ●Canon EOS KissDN + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


舗装道路が一般的なる以前、春先に道路が混泥化する北海道には、
それに代わって農道の役割を果たした殖民軌道が多く存在していた。
その中で一番最初に敷設されたのが、この旧別海町(村)営軌道である。
当初は馬による馬車軌道であったが、動力され生乳の集荷に活躍する。
その後、この路線は国鉄線に格上げされたが、
ルート変更された根室市厚床~別海町上風蓮の一部が、再び馬車軌道として残った。
路盤の悪かったこの線区は、後に別海町奥行臼からの新路線が建設され、動力化される。
車輛はその時代のもので、この鉄道の廃止まで使用された。
また釧路製作所は雄別炭礦の閉山解散後の継続会社の一つである。
 
 
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by mori-to_coa | 2008-03-25 00:00 | 2007
2008年 03月 18日

旧 JR標津線・踏切跡

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2007年08月26日・北海道根室市厚床


アスファルトに
滲み出した幻影。

在りし日の記憶をたどる旅。

 
                          ●Canon EOS KissDN + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


標津線は標茶―中標津―根室標津(69.4㎞)・中標津―厚床(47.5㎞)と、
中標津町を中心にT字状に延びていた国鉄の長大ローカル線であった。
その距離は116.9㎞にも及んでいたが運転本数は少なく、
とくに厚床支線(中標津―厚床間、便宜上そう呼ばれていた)は、1日4往復の運転本数であった。
1987(昭和62)年4月のJR移行時の廃止は免れたが、バス転換の準備が整うと1989(平成元)年4月29日に廃止となる。

また踏切には、その一つ一つに名前がつけられているが、確認できる資料がきなく不明である。
現在、JR厚床駅からの標津線跡(農道)、別海村営軌道時代の路床(農道)の一部が
フットパス(英国式公認遊歩道)となっていて、歩くことができる。

 
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by mori-to_coa | 2008-03-18 18:00 | 2007
2008年 03月 11日

鉱山(黄銅)・坑道跡

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2007年08月06日・北海道厚岸郡浜中町


漆黒の闇、
漂う菌類の匂い。

止まった時間は、
危うい表情を晒け出していた。

 
                          ●Canon EOS KissDN + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5
                                           + EF-S18-55mm 1:3.5-5.6Ⅱ


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


関係者等の情報から黄銅鉱としているが、この鉱山について詳しいことは不明。
ただ浜中町には国光鉱山といわれる金鉱山が存在していた記録があるので、それとの関連性を調査中である。

この旧坑道については補強のため坑木がほとんどなく、進入できる距離も20mほど。
そのうえ見てすぐに解る新しい崩落が跡があるため、危険性は非常に高い。

*撮影は地権者・管理者の許可を得ています。

 
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by mori-to_coa | 2008-03-11 00:00 | 2007
2008年 03月 04日

新ウトロ鉱山跡

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2007年07月29日・北海道斜里郡斜里町ウトロ香川


シレトク(地の果て)に求めたもの
開発、それが豊かさへのすべてだった。

今は密やかに眠る。

 
                          ●Canon EOS KissDN + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


明治時代に本格的に始まった北海道開拓は、未開の大地の天然資源も大きな目的であった。
鉱山開発もその一つで、金や銀・銅、鉄などの重要な鉱物を求めて、知床半島にも調査がおよんでいる。
この新ウトロ鉱山は1940~54(昭和15~29)年にかけて試掘が行われたが、
鉛(Pb)・亜鉛(Zn)などが主体で、採算を取れる量でもなかったために本格操業までには至らなかったようである。
ただ時期が戦中戦後の資源不足時に重なるため、それを補っていたものと考えられる。
現在は坑口が完全に崩落し当時の様子うかがえる遺物も少ないが、
10数年ほど前までは、坑道とその中の専用軌道がしっかり残っていたという記録がある。

*稀少動物調査時に撮影しました。このエリアはヒグマの出没地でもあるため、安易な入山は控えたい。

 
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by mori-to_coa | 2008-03-04 00:00 | 2007