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2009年 02月 25日

旧 十勝上川森林鉄道(王子製紙十勝上川運材軌道)遺構群

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2008年05月18日・北海道上川郡新得町字屈足


飽くなき効率を求めた末に
消えたものたち

多くの人々が汗を流したはずの労働力の時代に
なぜか穏やかさを感じた


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


元来切り出された木材は、積雪期にソリを使った馬搬や河川による流送が中心だった。
明治時代末期より簡易な軌道を使った鉄道(馬鉄を含む)運送が普及して行く
(最盛期、北海道内各線の総延長距離は約500㎞にもなる)。
この森林鉄道も十勝川上流で生産される豊富な木材を運ぶために
1950(昭和25)年、新得町屈足より建設が始まり、2年後には幹線区間約48㎞が完成している。
その後、1958(昭和33)年まで支線を敷設して行き、総延長は約70㎞までになっていた。
ただ鉄道輸送になってからも山中から木材を駅(集積地)に運び出すのは容易でなく、
伐採後3ヶ月~半年かかることもあったという。
その集材過程の効率化・機械化は、皮肉なことに運材においてもトラック運送の普及をもたらし、
森林鉄道は急激に衰退して行った。
十勝上川森林鉄道も1966(昭和41)年に廃止となり、16年という短い歴史に幕を引いている。

 
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by mori-to_coa | 2009-02-25 00:00 | 2008
2009年 02月 20日

旧 狩勝高原SLホテル

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2008年05月18日・北海道上川郡新得町字新得


目まぐるしく変わる時代

その流れを止めたかのように
存在し続ける往年の伝説


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5
                            Canon EOS KissDN + EF-S17-85mm 1:4-5.6 IS


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


根室本線ルート変更後、実験線に転用されていた新得駅―新内駅間は、1979(昭和54)年にその役目も終えた。
1978(昭和53)年から(実験線との重複期間についての詳細は不明)は、
新内駅施設に蒸気機関車9600形と20系寝台客車3両を配置してSLホテルとなる。
A寝台車の車内設備をほぼそのまま使用し、B寝台をレストラン(食堂)に改造、
価格帯などの運営形態は不明だが鉄道愛好家向けのもだったと考えられ、1995(平成7)年前後まで営業していた。
閉鎖後、放置されていた各車輛は傷みが激しいため撤去の方針だったが、
NPO法人旧狩勝線を楽しむ会が保存運動をして、維持活動を条件に保存が決まった。
また新内駅前後の廃線跡は一部がフットパスとして整備されていて、線路が残るのは駅の周辺のみである。


◎保存車輛
国鉄蒸気機関車59672(9600形573号機)
国鉄特急型寝台客車20系 ナハネ20 132 + ナロネ20 551 + ナロネ22 153
(ナロネ22は20系A個室寝台客車の現存する唯一の車輛)

 
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by mori-to_coa | 2009-02-20 08:30 | 2008
2009年 02月 15日

旧国鉄狩勝実験線(根室本線旧狩勝ルート)・無線鉄塔

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2008年05月18日・北海道上川郡新得町字新得


鉄道史の記憶として
異端な存在は、

威光を放ち
建ち続ける


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


根室本線の新得駅―落合駅の間は新狩勝トンネル(5810m)を有する勾配の緩やかな新ルートが敷設され、
昭和41年に路線区間が変更された。
それにともない旧区間は新内駅・狩勝信号所とともに廃止となる。
その後、新得―新内駅間(約11㎞)を実験線に転用。
当時多発していた貨物車の脱線事故メカニズム究明の実験などが
1967(昭和42)年から1979(昭和54)年まで行われ、貴重なデータが収集された。
残されている無線鉄塔は、車両遠隔操作のために造られたもの。

現在、路線跡は線路が撤去され、その一部がフットパスとなっていて歩くことができる。

 
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by mori-to_coa | 2009-02-15 00:00 | 2008
2009年 02月 10日

旧 北海道拓殖鉄道・コンクリート橋梁

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2008年05月18日・北海道上川郡清水町字熊牛


繰り返す迷走、
見知らぬ原野の
遠い遠い記憶に出逢う


                          ●Canon EOS KissDN + EF-S17-85mm 1:4-5.6 IS


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


この地域開発・発展を目的に北海道内の商工業者が出資し会社が設立され、1924(大正13)年に新得から工事が始まった。
1928(昭和3)年に新得―鹿追間、翌年には鹿追―中音更間が、
1931(昭和6)年に中音更―上士幌間までが開業(総路線距離54.3㎞)している。
当初は国鉄池北線・足寄駅までの延伸を計画していたが、国鉄石北本線が開通し存在意義が希薄となり、
また不作が続き入植者も増えなかった。それに昭和恐慌で資金不足に陥り上士幌で工事は中断した。
木材輸送が好調な時期もあったが、モータリゼーションや沿線人口の停滞・衰退化により経営環境は悪化。
利用者の少なさや老朽化施設の改修や更新ができないことで、1949(昭和24)年から休止・廃止区間が増えはじめる。
1968(昭和43)年10月に残された新得―瓜幕間も廃止となった。
また後年、存在していたバス部門は子会社『北海道拓殖バス』に譲渡され存続している。

 
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by mori-to_coa | 2009-02-10 00:00 | 2008
2009年 02月 05日

士幌高原道路(道道士幌然別湖線)

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2008年05月18日・北海道河東郡上士幌町字上音更


追求する利便さ
豊かさの先に見えたもの


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


農道としてはじまった士幌高原道路は、1965(昭和40)年に大雪山国立公園への町道して本格的に整備され、
1969(昭和44)年には道道に昇格となる。
十勝平野を展望でき、またその自然景観から観光開発等が期待されていたが、
建設工事によるナキウサギ生息地への影響や、その後の環境悪化が懸念されて反対運動が起きる。
工事は1973(昭和48)年から約26年間も停滞し、1999(平成11)年3月、『時のアセスメント』により事業中止が決まった。
この道路は士幌町から東ヌプカウシヌプリの東側を周って然別湖へ至る予定だったが、
約2.7kmのトンネル区間(自然環境保護対策として計画を変更したもの)が未着工に終わっている。

 
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by mori-to_coa | 2009-02-05 18:30 | 2008