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2009年 08月 30日

日曹炭鉱天塩鉱業所・選炭場跡

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2008年09月20日・北海道天塩郡豊富町字本流


夕闇せまる山間に
華やかだった時代の記憶を求め
駆け巡る

沈みゆく陽光は
失われたこの地をイメージするかのように
消えて行った


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5
                            Canon EOS KissDN + EF-S17-85mm 1:4-5.6 IS


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


記念碑の建つ事務所跡地にある案内板の文字には「洗炭場」とあるが、
その作業は選炭行程の1つであり、ここには積込施設を含めた大きな選炭場であったと考えられる。

現在も造成された広い空地の奥にコンクリートの遺構が残っているが、
専用鉄道に石炭を積み込むための設備の一部と思われる。

 
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by mori-to_coa | 2009-08-30 23:45 | 2008
2009年 08月 25日

日曹炭鉱天塩鉱業所・水力発電用ダム跡

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2008年09月20日・北海道天塩郡豊富町字本流


深い緑の中に
構造物としての余命を
ひっそりと過ごしていた

時代がつくった
記憶を見つめる時

                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


天北炭田は北海道のほか産炭地(空知・石狩・留萌・釧路の各炭田)に比べると規模は小さく、
最盛期でも12の炭鉱が稼動していた程度ある。
その中で日曹炭鉱手塩鉱業所はもっとも大きな炭鉱で1936(昭和11)年に開鉱し、
1940(昭和15)年には国鉄(現JR)宗谷本線・豊富駅までの専用軌道が開通する。
軍需で開発が進み戦後も規模拡大、最盛期には年産約15万t・炭鉱員約700人・
住宅約300棟・約3000人を有する炭鉱だった。
その後、石炭品質の低下や国のエネルギー政策変換による原価引き下げなどで赤字経営となり、
1972(昭和47)年7月に閉山となった。

辛うじて造成された痕跡が分かるだけの集落跡地だが、
道道脇を流れる川に、炭鉱用に使ったと思われる水力発電用のダムの跡が存在している。

 

 
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by mori-to_coa | 2009-08-25 23:45 | 2008
2009年 08月 20日

幌延町営問寒別線・事務所跡

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2008年09月20日・北海道天塩郡幌延町字上問寒


カメラを向ける廃墟の数々
出逢いと別れを繰り返し
歳月は刻々と過ぎる

不変不朽の願いが
叶うことはない


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


道路整備や自動車の普及していなかった時代、公共の足になっていたのは鉄道だった。
北海道の場合、農道の役割を果たしていた簡易軌道が多く敷かれ、道東・道北を中心に多く存在していた。
この簡易軌道も1930(昭和5)年に開通し、同じような役目を持っていたと思われる。
そして道路環境やモータリゼーション、都市部への人口の流出など
同じような経過をたどり、1971(昭和46)年に廃止となる。

10年ほど前は屋根が落ちた車庫が残っていたが現在は撤去されている。
また事務所の痛みは激しいようだ。

 
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by mori-to_coa | 2009-08-20 23:45 | 2008
2009年 08月 15日

日曹炭鉱天塩鉱業所・事務所跡

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2008年09月20日・北海道天塩郡豊富町字本流


過去の記憶を伝える
まだ新しい石碑に
目がとまる

そこには
往時そのままの姿があった


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


天北炭田は北海道のほか産炭地(空知・石狩・留萌・釧路の各炭田)に比べると規模は小さく、
最盛期でも12の炭鉱が稼動していた程度ある。
その中で日曹炭鉱手塩鉱業所はもっとも大きな炭鉱で1936(昭和11)年に開鉱し、
1940(昭和15)年には国鉄(現JR)宗谷本線・豊富駅までの専用軌道が開通する。
軍需で開発が進み戦後も規模拡大、最盛期には年産約15万t・炭鉱員約700人・
住宅約300棟・約3000人を有する炭鉱だった。
その後、石炭品質の低下や国のエネルギー政策変換による原価引き下げなどで赤字経営となり、
1972(昭和47)年7月に閉山となった。

現在、炭鉱周辺集落は完全に無人となり、残された遺構も少ない。
記念碑は事務所跡地に建ち、その古さから素材の一部には、
選炭工場の煙突などの煉瓦が使われているように思われる。

 
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by mori-to_coa | 2009-08-15 00:00 | 2008
2009年 08月 10日

曲淵地区炭鉱住宅群

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2008年09月20日・北海道稚内市大字声問村


最近、北海道のあちらこちらで見かける
ベニヤ板の目張りは
人々が去ったことを伝えていた


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5
                            Canon EOS KissDN + EF-S17-85mm 1:4-5.6 IS


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


天北石炭鉱業と宗谷炭鉱の2社で運営されていた曲渕炭鉱は1964(昭和39)年に完全閉山。
宗谷地方にある炭鉱としては規模も大きく、集落も数1000人単位の人口があったといわれている。
1953(昭和28)年頃には職員約230名・鉱員住宅も26棟あったとされ、その名残を今でも見ることができる。
現存する住宅は居住者のために公営住宅として存続しているようだが、現在は僅かな入居者がいるだけだ。
建物自体は閉山後に改修または建て直されたようで新しく見えるが、すでにこの地域での役割を終えようとしている。

 
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by mori-to_coa | 2009-08-10 08:30 | 2008
2009年 08月 05日

旧 曲渕炭鉱(天北石炭鉱業+宗谷炭鉱)

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2008年09月20日・北海道稚内市大字声問村


最北の地に輝いていた記憶を辿り、
そして出遭った


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5
                            Canon EOS KissDN + EF-S17-85mm 1:4-5.6 IS


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


輸送手段として国鉄天北線や宗谷本線が開通すると宗谷地方でも石炭採掘が本格的になり、
曲渕炭鉱は1939(昭和14)年に開鉱となった。
天北石炭鉱業と宗谷炭鉱の2社で運営されいたようだが、
閉山はそれぞれ1959(昭和34)年と1964(昭和39)年と違っている。
また1953(昭和28)年頃には職員約230名・鉱員住宅26棟という記録があり、
集落も数1000人規模の人口があったといわれ、この地方としては規模の大きい方だった。

現在、2基(会社ごとに所有?)あったホッパーのうち辛うじて1つが残っているが、当時を伝える遺物は少ない。

 
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by mori-to_coa | 2009-08-05 19:30 | 2008