遠い記憶、忘れられた風景。

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2013年 01月 29日

閉ざされた記録 - 04  石積倉庫

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石積倉庫 / 1997年10月6日


鉄道が物流の花形だった頃、
人が集う駅前には、倉庫が建並んでいたのだと想う。
その面影を見たくて、撮影の旅の途中よく駅に寄っていた。

北海道の畑作地帯のひとつである十勝管内(十勝総合振興局、旧十勝支庁。
またその区分を『十勝地方』と呼ぶ)には、明治期からと思われる古い倉庫がたくさんあった。
煉瓦ではなく石積であることが多いが、それはそれで趣があっていい。
写真の倉庫がどうだったかは忘れてしまったが、土地柄やはりJA(農協)所有のもが多かった。

それでGoogle Earthで位置関係を調べてみたら、
撮影メモで『JR根室本線・十勝清水』とあるのに、らしい倉庫は隣駅の『御影』に見えている。
記憶では寄った覚えもあるものの、もう15年以上も経っているうえ、
衛星の俯瞰画像で判断するは正しいといえない。

15年という歳月は短いようで長く、
北海道のローカルといえども街並みの変化は起きている。
いずれ確認の旅に出ないといけない。
いや、行きたくなったようである。


   ◇     ◇     ◇     ◇


倉庫や塀などの建築資材とするべく切りだされた凝灰岩の石。加工がしやすく『軟石』と呼ばれる。
有名な『大谷石』もその一つで、北海道には旧北海道庁の基礎にも使われた『札幌軟石』がある。
輸送コストを考えると、近場の石を使うのが普通であるあるが、
この写真の倉庫に使われたのが、何処のどの石であるかは不明である。



 
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by mori-to_coa | 2013-01-29 00:00 | Return 1996-2003
2013年 01月 22日

閉ざされた記録 - 03  万字曙町

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万字曙町 / 1998年10月3日


(旅は前回の続きである)

北炭真谷地炭鉱の撮影の後、夕張本町に寄り、
再開発前の古い商店街を歩いた。

衰退振りが酷い状況だったが、あまりシャッターを切っていない。
今想えば、「何故、写さなかったのだろう?」と後悔もするが、
廃墟然と化した街も人々の暮らしが営まれていて、
そこが撮影の分かれ目だったのだと想う。

その後、車窓下から石炭の歴史村を確認しつつ、万字炭鉱へ。
国道から細い脇道で川の流れる谷合いに降りると、
僅か残された民家と解体された果てに残った炭鉱施設。

約1キロの谷間は、万字旭町・万字曙町・
万字睦町・万字仲町・万字幸町と目まぐるしく変わり、
大きなが町があったことをうかがわせる。
先に見た夕張以上に、ここは過去の町の様相を呈し、
何ともいえない寂しさの空気に支配されていた。

当時撮影した壊れかけの民家は、冬期の積雪により完全に崩壊し、
後ろの高台に見える万字会館も、解体され姿を消している。


   ◇     ◇     ◇     ◇


独立系の炭鉱会社が開発を進めたが、山間部の僻地であり生産した石炭の輸送目途が立たなかった。
そのため夕張で展開していた北炭が1903(明治36)年に事業を引継ぎ(譲渡)、2年後に本格操業を開始する。
炭鉱名は開発者の朝吹家の家紋『卍』にちなみ『万字炭鉱』とした。

当初夕張方面としていた鉄道敷設を断念し、岩見沢方面に変更。
1914(大正3)年に、万字軽便線(後の国鉄万字線)が難工事を経て開通してから出炭量が増加する。

しかし複雑で脆弱な地質であったため出水量が多く生産が安定せず、
1960(昭和35)年には経営分離・子会社化され、万字炭鉱株式会社となる。
1976(昭和51)年の台風6号による出水事故で主力坑道水没が致命的となり、
復旧できないまま閉山となった。

現在、旧万字炭鉱の周辺は森林公園として整備され、
植林されたズリ山と、施設の構造物が僅かに残っている。



  
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by mori-to_coa | 2013-01-22 00:00 | Return 1996-2003
2013年 01月 15日

閉ざされた記録 - 02  北炭真谷地変電所

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北炭真谷地変電所 / 1998年10月3日


2日の深夜、根室を出発。
ハッキリした旅の予定はもうわからなくなっているが、
夕張を中心に、その周辺のまだ見ぬ地域に足を伸ばそうとしている。

ただこの日の十勝・日高は豪雨(多分、台風→熱帯低気圧)で当日の行程を巧く決められず、
立ち寄ろうとしたえりも岬も、黄金道路は崖から出水しているもの凄い状況と、
猛烈な強風のため通過した(その後、1時間ほどで通行止めとなる)。

雨天の日は、その地の未乗線の客になるという決めごともしていて、
様似から静内までのJR日高本線を往復して、時間をつぶす。
その後、車を様似から静内まで移動させていたら、波浪により全線運休となった。

雨が上がり晴れて来たので、旧穂別炭鉱へと向かうが、
走行した山道のコンディションが悪く、無理せず途中で断念した。
この日は、ほぼフィルムのカウンターが進んでいない。

翌3日の早朝、苫小牧のウトナイ湖に寄り、夕張に向かう途中でも少し撮影。
この頃はカラーで別なテーマも進めているなど、1日の行程が複数の目的に充てられている。

モノクロのカウンターが進まない中、夕張の旧北炭真谷地炭鉱に到着。
実は前年1997年10月に夕張を初めて訪れているが、たどり着いてはいないかった。
当初は、手さぐり・取りあえず現地へということも多く、
ここの情報を持っていなかった(帰宅後、まもなく炭鉱の存在を知る)。
つまり、早い話がリベンジである。

ともあれ初めてみる真谷地は、まだ複数の施設が残り、廃墟然としていてよかった。
それにカメラを向けている構造物についても知識が薄く、
本当に「何だろう… ?」という感じでシャッターを切っていて、素直に向き合っている状態である。
そんな想いの中で撮った1枚の中に、この変電所の写真もあった。


   ◇     ◇     ◇     ◇


北炭真谷地炭鉱の変電所。北炭清水沢発電所からの送電をここで変圧していた。
炭鉱本体が1987年に廃鉱になり、 役割を終えた施設は鉱員共同浴場として改装された。
その後、年代は不明だが閉鎖となり、放置されて久しい状況であった。
2007年の夕張市の財政破綻後、真谷地地区での残されていた旧炭鉱関係施設の解体整理が進んでおり、
この施設の現有も不明である。



  
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by mori-to_coa | 2013-01-15 00:00 | Return 1996-2003
2013年 01月 08日

閉ざされた記録 - Prologue + 01  JR根室本線・門静駅 旧駅舎

1995年、Uターンして故郷・根室に戻り、撮り始めたのは廃墟であった。
数冊の書籍と北海道の道路地図だけを頼りに、車で走り出した。

『産業遺産』という言葉も一般的でない頃、
それはまさに廃墟を巡る旅である。
夕張・三笠・赤平・芦別などの旧産炭地、
鉱山や軍事施設、港湾・通信、
それに旧国鉄の廃止された多くのローカル線跡など、
出逢うのは北海道、北の大地に刻まれた人々の記憶であった。

ただ残念ながら写真世界の急激なデジタル化の流れに迷いが出て
フィルムでの撮影をやめ、封印する。

以前、陽の目を当てるため、一部はこのブログでアップしたが、
同時進行で新たな撮影をデジタルで進めていて、
まとめてみるというひとつの試みは、
未完成のまま、幕を閉じてしまっていた。

全ての撮影に一区切りをつけた現在、
時間とともに変わる思考や想いが湧き、
決して多くないそれらフィルムの中から、
再びひとつの答えを見つけてみることにした。

その一連の作業の中で、ほぼ未公開な写真の封印を切る。


   ◇     ◇     ◇     ◇


まめに記録を取る人間ではないが、
幸運にも1996年からメモ程度の撮影の記録が残っていた。


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JR根室本線・門静駅 旧駅舎 / 1997年8月22日


近隣の根室・釧路管内などは日帰りで周っていた。
数日かける遠出は最短でも十勝ぐらいからで、基本的には一番遠い場所まで最初に行き、
撮影しながら戻って来るという感じの行程であった。

どちらにしてもこの頃は、ほとんど見たことがない、行ったことがない場所が多く、
また写真の全体の方向性なども固まっていなかったので、
気になったところには、それが何であっても立ち寄っていた。

JR根室本線・門静駅は無人化され
待合以外の駅舎機能のほとんどを失っていたが、
厳密には廃墟ではなかった。
だが、この時は想いもしていなかったが、
何と老朽の激しい駅舎は、後に建て替えられてしまった。

想うに、新築の完成が先ということもありえるが、
最短でも解体が始まる前日の最終列車以降が、廃墟だった時間といえるだろう。

気づいた時には、鄙びた木造駅舎は完全に姿を変えていたのである。


   ◇     ◇     ◇     ◇


1917(大正6)年、信号場として開業し、5年後に乗降できる駅となる。
当時は島式の2面ホームで列車交換ができ、構内には引込み線も存在していた。
国鉄時代末期の1986(昭和61)年に簡易委託となり、
JR北海道となった後の1992(平成4)年4月に完全無人化される。
先代の旧駅舎は1947(昭和22)年に出来た特徴的な屋根を持つ木造建築であったが、
残念ながら解体され2003(平成15)年6月に、ログハウス調の待合所が新築された。
ただし同様の造りである糸魚沢駅(根室方面2駅目)が同線に健在している。



 
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by mori-to_coa | 2013-01-08 00:00 | Return 1996-2003
2013年 01月 01日

あけましておめでとうございます。 2013

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A Happy New Year !
                  from MORI Toshihiro., 2013.1.1. 


Location: Ochiishi-Nishi Nemuro Hokkaido., 2012.08.10.


  
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by mori-to_coa | 2013-01-01 00:00 | インフォメーション