タグ:橋梁・橋脚 ( 17 ) タグの人気記事


2012年 02月 24日

旧国鉄士幌線・第五音更川橋梁 ②

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2011年07月07日・北海道河東郡上士幌町字幌加 / Canon EOS 7D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5 ■

 
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by mori-to_coa | 2012-02-24 00:00 | 2011
2011年 12月 02日

旧 濁川森林鉄道

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2011年05月15日・北海道紋別郡滝上町雄柏 オシラネップ川 / Canon EOS 7D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5 ■

 
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by mori-to_coa | 2011-12-02 14:30 | 2011
2011年 08月 19日

旧 鶴居村営軌道・鶴野跨線橋梁橋脚

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2009年07月13日・北海道釧路市鶴野 / Canon EOS KissX3 + EF-S17-85mm 1:4.5-5.6 IS ■

 
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by mori-to_coa | 2011-08-19 10:00 | 2009
2010年 08月 20日

旧 JR松前線・櫃ノ下橋梁

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■ 2009年05月04日・北海道松前郡松前町字荒谷 ■


鉄路が存在していた時を伝えるために
辺境と化す海辺に残る


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


江差線・木古内駅から分岐し、松前駅までの50.8kmを結んでいたローカル路線。
1987(昭和62)年、新たに発足したJR北海道(北海道旅客鉄道)に移管されたが、翌年に廃止(バス転換)。
輸送量の多い五稜郭駅―木古内駅間が江差線に含まれたため、乗客が少なくても木古内駅―江差駅間が残り、
松前線が廃止されるという実情に合わない線路名称による存廃選択がされた経緯がある。
観光名所と名高い松前(福山)城までの路線として知られていたが、
建設は軍需物資としてマンガン鉱山開発のために進められ、戦時下の1942(昭和17)年に渡島吉岡まで開通した。
戦後すぐに工事が再開され1953(昭和28)年に松前までは開業したが、
本来の目的であったマンガン鉱採掘の必要はなくなり、
松前町大島地区までの24.0km延伸は、工事途中で放棄された。

未成区間 :松前駅―館浜駅―小島駅―江良駅―大島駅

 
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by mori-to_coa | 2010-08-20 21:30 | 2009
2010年 04月 16日

旧国鉄戸井線(未成線)・汐首岬陸橋跡

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■ 2009年05月03日・北海道函館市汐首町■


進んだ道は、開かれない未来
それとも記憶としての過去


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


国鉄戸井線は戸井町(現在は函館市の一部)に、
旧日本軍の要塞を建設するための軍事目的で建設が始まる。
路盤はほとんど完成していたが、戦時中の資材不足により1943(昭和18)年、工事が中断。
戦後、建設は再開されことはなく完成しないまま中止となった。
現在、一部が遊歩道などとして利用されている。

橋脚は粗悪なコンクリートで造られ、経年から老朽化も激しく崩落の危険があるものあり、
一部のアーチ橋は改良工事が施されている。
軍事機密のため橋梁名などがわかる図面等の詳しい資料は残っていないようで、
便宜上、汐首岬陸橋と呼ぶことにした。
連続するアーチの姿は、この路線で一番美しい橋である。

 
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by mori-to_coa | 2010-04-16 23:45 | 2009
2010年 04月 09日

旧国鉄戸井線(未成線)・汐泊川橋梁跡

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■ 2009年05月03日・北海道函館市石倉町・古川町■


川のせせらぎとともに木霊する
想いや秘めた記憶。


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


国鉄戸井線は戸井町(現在は函館市の一部)に、
旧日本軍の要塞を建設するための軍事目的で建設が始まる。
路盤はほとんど完成していたが、戦時中の資材不足により1943(昭和18)年、工事が中断。
戦後、建設は再開されことはなく完成しないまま中止となった。
現在、一部が遊歩道などとして利用されている。

  
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by mori-to_coa | 2010-04-09 23:45 | 2009
2010年 01月 22日

旧 英橋(二代目)

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■ 2008年09月22日・北海道岩見沢市栗沢町万字英町・寿町 ■


ふと見下ろす視線の先にあった栄華の記憶

それは訪れる人がほとんどいない街の
揺るぎない過去であった


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


1937(昭和12)年に造られた英橋(二代目)は全長約80mの鉄筋コンクリート製の道路橋。
花をイメージした電燈が橋の両端に設置され、その洒落たデザインが当時の街の人たちの自慢であったが、
1969(昭和44)年に道道拡幅の時に、三代目・英橋が架けられ役目を終えた。
1921(大正10)年に建造の初代・英橋は現存していないが、
全長73mにも及んだ巨大つり橋であり、こちらも一見価値があったことは間違いなさそうだ。

 
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by mori-to_coa | 2010-01-22 20:30 | 2008
2009年 12月 30日

旧 国鉄幌内線

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2008年09月22日・北海道三笠市幌内本沢町


失われても鉄路はつなぐ
現在と過去の記憶を


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


1882(明治15)年に官営幌内鉄道として敷設された北海道内で最も古い鉄道(手宮―札幌―幌内間)。
北炭幌内炭鉱をはじめとする沿線炭鉱からの石炭輸送が最大の目的であった。
その後、北海道炭礦鉄道に譲渡され、1906(明治39)年に鉄道国有法により国鉄幌内線となる。

炭鉱産業衰退は路線と沿線自治体には致命的で、
1980(昭和55)年の国鉄再建法により廃止の対象に。
実際の廃止は1987(昭和62)年。JR北海道発足の約3ヶ月後であった。

写真の橋梁は三笠駅から分岐し2.7㎞延びていた貨物支線(幌内住吉・幌内の2駅があった)のもの。

  
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by mori-to_coa | 2009-12-30 23:45 | 2008
2009年 09月 10日

旧 羽幌炭鑛鉄道・橋梁群

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2008年09月21日・北海道苫前郡羽幌町字曙


過ぎ去った
夏の想い出のように
なつかしい


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5
                           Canon EOS KissDN + EF-S17-85mm 1:4-5.6 IS


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


羽幌炭鑛鉄道は1931(昭和16)年の開業、築別駅―築別炭鑛駅間の16.6㎞を結んでいた。
曲がりくねる築別川に曙付近では橋梁が連続する。
建設は物資不足の時代、使われた鋼鉄製の橋梁は他から供出されたものといわれる。
1970(昭和45)年には炭鉱産業の衰退とともに廃止。
曙駅からは建設途中だった国鉄名羽線を借受した支線3.5㎞も短期間存在していた。

 
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by mori-to_coa | 2009-09-10 00:00 | 2008
2009年 09月 05日

旧国鉄羽幌線・金駒内橋梁

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2008年09月21日・北海道苫前郡初山別村字豊岬


たとえそれを知らなくても
突然現れる光景に
秘められた歴史を感じる


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


国鉄羽幌線は留萌駅―幌延駅間の141.1㎞を結んでいた長大ローカル線だった。
赤字路線だった鉄路は国鉄再建措置法により1987(昭和62)年3月31日に廃止。
初山別村の金駒内陸橋と金駒内橋梁の付近は、鉄道写真撮影の名所として有名であった。
廃止後もそのまま残り、廃線探索の名所にもなっていたようだが、
1999(平成11)年、併走していた国道の拡幅改良工事により
約700mもの距離があった金駒内陸橋は、残念ながら解体された。

 
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by mori-to_coa | 2009-09-05 16:30 | 2008