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2009年 09月 25日

旧 築別炭砿・末広アパート

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2008年09月21日・北海道苫前郡羽幌町字築別炭砿


追い求めた豊かな生活の果てにあった終焉


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


4階建鉄筋コンクリート造のアパート群。もちろん炭鉱関係者のためのもの。
使用されていた当時の状況を考えると極めてモダンで文化的な造りといえるだろ。
現在は周辺に樹木が生茂り、建物自体もかなり老朽化していて危険である。

 
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by mori-to_coa | 2009-09-25 12:30 | 2008
2009年 09月 20日

旧 羽幌町立曙小学校

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2008年09月21日・北海道苫前郡羽幌町字曙


知らない集落(まち)の
想い出との出逢いは
自身の郷愁を呼び起す

自分が何ものであるのか
その原点は、やはり故郷にある


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


街の歴史をたどると必ず行きつくもの、それはやはり学校ではないだろうか。
市町村もとより集落は学校の存在で、その地の歴史や現状を知ることができる。

 
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by mori-to_coa | 2009-09-20 12:15 | 2008
2009年 08月 30日

日曹炭鉱天塩鉱業所・選炭場跡

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2008年09月20日・北海道天塩郡豊富町字本流


夕闇せまる山間に
華やかだった時代の記憶を求め
駆け巡る

沈みゆく陽光は
失われたこの地をイメージするかのように
消えて行った


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5
                            Canon EOS KissDN + EF-S17-85mm 1:4-5.6 IS


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


記念碑の建つ事務所跡地にある案内板の文字には「洗炭場」とあるが、
その作業は選炭行程の1つであり、ここには積込施設を含めた大きな選炭場であったと考えられる。

現在も造成された広い空地の奥にコンクリートの遺構が残っているが、
専用鉄道に石炭を積み込むための設備の一部と思われる。

 
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by mori-to_coa | 2009-08-30 23:45 | 2008
2009年 08月 25日

日曹炭鉱天塩鉱業所・水力発電用ダム跡

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2008年09月20日・北海道天塩郡豊富町字本流


深い緑の中に
構造物としての余命を
ひっそりと過ごしていた

時代がつくった
記憶を見つめる時

                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


天北炭田は北海道のほか産炭地(空知・石狩・留萌・釧路の各炭田)に比べると規模は小さく、
最盛期でも12の炭鉱が稼動していた程度ある。
その中で日曹炭鉱手塩鉱業所はもっとも大きな炭鉱で1936(昭和11)年に開鉱し、
1940(昭和15)年には国鉄(現JR)宗谷本線・豊富駅までの専用軌道が開通する。
軍需で開発が進み戦後も規模拡大、最盛期には年産約15万t・炭鉱員約700人・
住宅約300棟・約3000人を有する炭鉱だった。
その後、石炭品質の低下や国のエネルギー政策変換による原価引き下げなどで赤字経営となり、
1972(昭和47)年7月に閉山となった。

辛うじて造成された痕跡が分かるだけの集落跡地だが、
道道脇を流れる川に、炭鉱用に使ったと思われる水力発電用のダムの跡が存在している。

 

 
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by mori-to_coa | 2009-08-25 23:45 | 2008
2009年 08月 15日

日曹炭鉱天塩鉱業所・事務所跡

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2008年09月20日・北海道天塩郡豊富町字本流


過去の記憶を伝える
まだ新しい石碑に
目がとまる

そこには
往時そのままの姿があった


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


天北炭田は北海道のほか産炭地(空知・石狩・留萌・釧路の各炭田)に比べると規模は小さく、
最盛期でも12の炭鉱が稼動していた程度ある。
その中で日曹炭鉱手塩鉱業所はもっとも大きな炭鉱で1936(昭和11)年に開鉱し、
1940(昭和15)年には国鉄(現JR)宗谷本線・豊富駅までの専用軌道が開通する。
軍需で開発が進み戦後も規模拡大、最盛期には年産約15万t・炭鉱員約700人・
住宅約300棟・約3000人を有する炭鉱だった。
その後、石炭品質の低下や国のエネルギー政策変換による原価引き下げなどで赤字経営となり、
1972(昭和47)年7月に閉山となった。

現在、炭鉱周辺集落は完全に無人となり、残された遺構も少ない。
記念碑は事務所跡地に建ち、その古さから素材の一部には、
選炭工場の煙突などの煉瓦が使われているように思われる。

 
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by mori-to_coa | 2009-08-15 00:00 | 2008
2009年 08月 10日

曲淵地区炭鉱住宅群

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2008年09月20日・北海道稚内市大字声問村


最近、北海道のあちらこちらで見かける
ベニヤ板の目張りは
人々が去ったことを伝えていた


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5
                            Canon EOS KissDN + EF-S17-85mm 1:4-5.6 IS


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


天北石炭鉱業と宗谷炭鉱の2社で運営されていた曲渕炭鉱は1964(昭和39)年に完全閉山。
宗谷地方にある炭鉱としては規模も大きく、集落も数1000人単位の人口があったといわれている。
1953(昭和28)年頃には職員約230名・鉱員住宅も26棟あったとされ、その名残を今でも見ることができる。
現存する住宅は居住者のために公営住宅として存続しているようだが、現在は僅かな入居者がいるだけだ。
建物自体は閉山後に改修または建て直されたようで新しく見えるが、すでにこの地域での役割を終えようとしている。

 
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by mori-to_coa | 2009-08-10 08:30 | 2008
2009年 08月 05日

旧 曲渕炭鉱(天北石炭鉱業+宗谷炭鉱)

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2008年09月20日・北海道稚内市大字声問村


最北の地に輝いていた記憶を辿り、
そして出遭った


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5
                            Canon EOS KissDN + EF-S17-85mm 1:4-5.6 IS


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


輸送手段として国鉄天北線や宗谷本線が開通すると宗谷地方でも石炭採掘が本格的になり、
曲渕炭鉱は1939(昭和14)年に開鉱となった。
天北石炭鉱業と宗谷炭鉱の2社で運営されいたようだが、
閉山はそれぞれ1959(昭和34)年と1964(昭和39)年と違っている。
また1953(昭和28)年頃には職員約230名・鉱員住宅26棟という記録があり、
集落も数1000人規模の人口があったといわれ、この地方としては規模の大きい方だった。

現在、2基(会社ごとに所有?)あったホッパーのうち辛うじて1つが残っているが、当時を伝える遺物は少ない。

 
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by mori-to_coa | 2009-08-05 19:30 | 2008
2009年 01月 15日

八千代炭砿・炭鉱住宅跡地

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2008年04月28,30日・北海道厚岸郡厚岸町大字苫多村


消えてもなお存在する
北の大地の記憶


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


1930(昭和15)年頃の厚岸町上尾幌地区には4つの炭鉱があり、地域人口が約3800人。
ほかの産炭地同様に賑わいを持っていたが、その後歩んだ道はほかの炭鉱と同じであった。
採炭については買収や譲渡が繰り返され、経営会社・名称の変化も多い。
また太平洋炭鉱(現・釧路コールマイン)が採炭していた時代もある。

1965(昭和40)年3月、北海道開発庁が発行した5万分の1地質図幅『尾幌(釧路―第36号)』には、
厚岸炭砿と南尾幌炭砿の記載があり、これら2つが最終的なこの地での炭鉱となったと思われる。

 
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by mori-to_coa | 2009-01-15 00:15 | 2008
2009年 01月 05日

中島鉱業所跡地

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2007年11月04日・北海道足寄郡足寄町茂足寄


神々への畏敬
それが在りし日の日本

残された信仰に
姿なき集落(まち)を知る


                          ●Canon EOS KissDN + EF10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


九州の産炭地の記録に中島鉱業所の名を見ることができるが、
この地で石炭を産出していた同鉱業所についての詳細は不明である。

遺構については居住区とともに閉山後もかなりの間残っていたと聞くが、
今は写真の鳥居があるのみである。

  
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by mori-to_coa | 2009-01-05 10:30 | 2007
2008年 11月 25日

旧 北炭赤間炭鉱選炭工場

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2007年10月07日・北海道赤平市赤平


残された想いは、
伝わるのか…


                          ●Canon EOS KissDN + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


1938(昭和13)年に開鉱し、この選炭工場はその3年後に操業を開始している。
坑口から4㎞ほど離れていてため、専用軌道により原炭が運び込まれていた。

1965(昭和40)年に系列子会社の空知炭鉱に経営が移行。1973(昭和48)年に閉山となった。
敷地は赤平市が購入して、1999年に施設のほとんどが解体されたが、
一部が炭鉱産業を伝える遺産として残された。
現在はズリ山を含めて公園化されている。

 
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by mori-to_coa | 2008-11-25 00:00 | 2007