遠い記憶、忘れられた風景。

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2011年 11月 04日

煉瓦煙突 (鰊粕工場跡)

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2010年10月13日・北海道古宇郡神恵内村 / Canon EOS 7D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5 ■

 
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by mori-to_coa | 2011-11-04 19:00 | 2010
2011年 10月 14日

旧 大沼水力第一発電所

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2010年10月12日・北海道茅部郡鹿部町駒見 / Canon EOS 7D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5 ■

 
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by mori-to_coa | 2011-10-14 23:45 | 2010
2011年 08月 26日

煉瓦建造物

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2009年09月27日・北海道根室市西浜町 / Canon EOS KissX3 + EF-S17-85mm 1:4.5-5.6 IS ■

 
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by mori-to_coa | 2011-08-26 19:45 | 2009
2009年 04月 30日

旧南兵村三区・門柱

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2008年06月29日・北海道紋別郡上湧別町字屯田市街地


どれだけの人が気づくのか

そこには北海道開拓の
歴史が標されていた


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


おもに北海道の警備と開墾を目的として考えられた制度で、
1987(明治8)年、今の札幌市にあった琴似兵村への入地が最初である。
石狩地方から展開していき、その後内陸部や道東などに広がった。
屯田兵は、200余戸の中隊を一つの単位として兵村を形成。
家族を連れて入地、用意された兵屋(住宅)と、未開拓の土地が均等に割り当てられた。
ここで軍事教練と耕作のほかに、道路や水路などの開発工事、
街頭や特定建造物の警備、災害救援などに携わっていた。
また国内外の様々な作物を育てる試験農場の役目も持っていた。
所管は北海道開拓使で、その廃止後は陸軍省に移管されている。
1877(明治10)年の西南戦争や、日清戦争・日露戦争にも出兵。

ここ上湧別には1897(明治30)年に入地しているが、1903(明治36)年に解隊となっている。
門柱は対で残っていて、また当時の土地区画も現存し市街地形成の基礎となっている。

 
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by mori-to_coa | 2009-04-30 00:00 | 2008
2009年 04月 25日

渡辺煉瓦工場跡

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2008年06月29日・北海道紋別郡上湧別町字北兵村


煉瓦を焼く町は
煉瓦で財をなし
煉瓦で家を建てるのが
ステータスだった。


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5
                            Canon EOS KissDN + EF55-200mm 1:4.5-5.6Ⅱ


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


明治の開国により海外の文化・技術が日本にも広まる。
煉瓦を使用した倉庫やサイロなど建造物が造られ出したのもこの頃から。
北海道では1872(明治5)年に創業を開始した道南の『茂辺地煉化石工場』が煉瓦産業の始まりで、
火災に強い耐火構造である煉瓦建築は、当時の北海道開拓使により支持されていた。
上湧別町では1918(大正7)年、町内が重粘土地帯であるこから藤島倉蔵が『中湧別煉瓦工場』を設立した。
1941(昭和16)年には、渡辺亀助が工場を買収し『渡辺煉瓦工場』とする。
1960(昭和35)年まで製造を続けるが、その後は『興農セラミックス』が製造を引き継いでいる。

残されている煉瓦煙突と倉庫は解体される予定があったが、
保存するために現在は個人が購入して所有管理している。

また煉瓦が基幹産業のひとつだった上湧別町では煉瓦建築はステータスであり、
このほかにも民家・倉庫・サイロなど煉瓦構造の建築物が多く存在している。


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by mori-to_coa | 2009-04-25 13:00 | 2008