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2007年 05月 21日

造船所群跡

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2006年05月03日・北海道根室市海岸町


失われた在りしの姿に想いを寄せて生きる街。

漂う焦燥感はゆるやかに、そして確実に
人々のささやかな希望を
消し去って行く。


                          ●Canon EOS Kiss DN + EF-S18-55mm 1:3.5-5.6 Ⅱ


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


根室市の根室港周辺には、多くの造船所が存在していた。
おもに漁船を造り、これは北洋海域で展開されたこの町の基幹産業である水産業を支えていた。
今では全てが閉鎖され、新しい船がこの港で進水することはなくなっている。

 
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by mori-to_coa | 2007-05-21 00:00 | 2006
2007年 05月 11日

旧日本軍本土防衛陣地・長節トーチカ 1

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2006年05月02日・北海道根室市長節


その旗の下に流された血と汗は、
歳月の中に埋もれた。

思考は迷走し、
虚しさが支配した時代。


                          ●Canon EOS Kiss DN + EF-S18-55mm 1:3.5-5.6 Ⅱ


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


1944(昭和19)年の夏から翌年にかけて、根室市をはじめとする東北海道の太平洋岸には、
本土防衛のために多くのトーチカが造られた。
建造当時は埋設されていたが戦後、砂の採取や飛散によって姿を現して、容易に確認できるものも多い。
またこれらの施設が実戦で使われることはなかった。
 
 
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by mori-to_coa | 2007-05-11 00:00 | 2006
2007年 04月 21日

民家廃屋

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2005年08月29日・北海道厚岸郡浜中町幌戸


北の大地に抱いた夢は
辛く厳しい現実に翻弄され
冷たい時代を繰り返す。

古びた記憶は、
そんな歳月の標(しるし)。


                          ●OLYMPUS CAMEDIA C-300zoom


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


北海道開拓を一攫千金のチャンスと考えた人や入植当時の貧困などから
家は仮住まいともいえるよな木造+板葺きの簡素な造りであった。
やがて定住や生活が安定すると、風土にあった住宅が発達して来るが、
冬期間の積雪凍結環境から瓦屋根が適さずトタン葺きとなる。
この屋根は北海道の家の象徴といってよいだろう。
 
 
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by mori-to_coa | 2007-04-21 13:00 | 2005
2007年 04月 11日

旧 JR標津線・奥行臼駅

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2005年07月25日・北海道野付郡別海町奥行


止まった記憶が
なつかしさを感じさせ、
ノスタルジックな空気が
その場所を支配する。


                          ●OLYMPUS CAMEDIA C-300zoom


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


標津線は標茶―中標津―根室標津(69.4㎞)・中標津―厚床(47.5㎞)と、
中標津町を中心にT字状に延びていた長大ローカル線であった。
その距離は116.9㎞にも及んでいたが運転本数は少なく、
とくにこの奥行臼駅のあった厚床支線(中標津―厚床間、便宜上そう呼ばれていた)は、
1日4往復の運転本数でしかなかった。
1987(昭和62)年4月のJR移行時の廃止は免れたが、
バス転換の準備が整うと1989(平成元)年4月29日に廃止となる。
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by mori-to_coa | 2007-04-11 21:00 | 2005
2007年 02月 22日

浦幌炭鉱住宅

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2004年10月12日・北海道十勝郡浦幌町字福山


過ぎ去りし日々は遠い想い出。

繰り返された日常は、
華やかだった時代の象徴。

今は深くなりつつ緑に
長い影を落とす。


                          ●OLYMPUS CAMEDIA C-300zoom


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


しっかりとした形で残っているものは炭鉱住宅だけだが、
確かにこの辺りに街が存在していた。
ほかに病院跡が比較的わかりやすいのだが、
いずれにしても基礎だけである。

この建物自体も使用されたブロックやコンクリートの劣化が激しく、
崩壊を心配するほどであったが、近年、保存するための補修が施された。
 
 
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by mori-to_coa | 2007-02-22 00:00 | 2004
2007年 02月 12日

砕石場跡

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2004年8月9日・北海道根室市花咲港ワッタラウス


開かれた空間に、
文明の凄さと欲、増殖する生命の儚さを感じた。

緑は失われた時を取り返すかのようのに
萌えていた。


                          ●OLYMPUS CAMEDIA C-300zoom


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


砕石場は永遠にその場所で稼動することは少なく、
予定範囲や砂利の質が悪くなると生産を終了する。
またこの地域で利用されるのは主に玄武岩である。
 
 
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by mori-to_coa | 2007-02-12 17:11 | 2004
2007年 02月 02日

オホーツク水族館跡

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2004年6月13日・北海道網走市二ツ岩


微かに残る記憶。
華やかだった時代は過ぎ去る。


                          ●OLYMPUS CAMEDIA C-300zoom


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


オホーツク水族館は全国で10番目の水族館として1956(昭和31)年に開館する。
地元、網走市に面するオホーツク海に生息する魚類、海獣(哺乳類)など約150種・10000点展示し、
市民・観光客を楽しませた。
その中でも北の海にしか生息しないオオカミウオやクリオネの飼育展示が有名であった。
近年、全国的な大型回遊水槽を持つ大規模な水族館の登場によって、
規模の小さな水族館からは客足が遠のきつつあり、
ここも2002(平成14)年8月31日を持って閉館する。
施設のほとんどは既に解体された。
 
 
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by mori-to_coa | 2007-02-02 20:15 | 2004
2007年 01月 31日

旧 明治鉱業・本岐炭鉱

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2004年5月5日・北海道白糠郡白糠町中庶路


出来たばかりのコンクリートほど無機質なものはなく、
自然の中では異物以外の何ものでもない。

だが、その地肌に風・雨を刻み、
植物と共に歳月を過ごしたものは
ある種の調和を見出す。

そして、
やがて土にでも還るようような
生命の存在させ感じさせるようになる。


(廃墟のそんなところに、惹かれてるのだろうか…)


                          ●OLYMPUS CAMEDIA C-300zoom


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


1924(大正13)年に庶路本岐炭鉱(株)によって開鉱されたが、
1938(昭和13)年には明治鉱業の傘下となり庶路鉱業所本岐鉱となる。
選炭は庶路鉱まで7.0kmの専用軌道で運び行っていたが、
その後、1961(昭和36)年に独立した鉱業所となった。
現在の遺構の多くはそれ以降の施設と考えられるが、
ここ自体も1969(昭和44)年には閉山となっていて、
規模が大きい割には短い使用期間であった。
炭鉱はいつも国策と経済、そして景気に翻弄され来たが、本岐炭鉱も同じである。
 
 
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by mori-to_coa | 2007-01-31 10:30 | 2004
2007年 01月 21日

浦幌炭鉱専用軌道・常室川橋梁跡

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2004年5月5日・北海道十勝郡浦幌町字炭山


『黒いダイヤ』といわれた石炭を求めて人々が集まる、
そういう時代が確かにあった。

しかしエネルギーが石油、そして電力へと変化し、
石炭は急激に輝きを失くす。

炭鉱が閉ざされ、人々が暮した街が消えた。
その施設の一部が、この地の歴史を伝える墓標。


                          ●OLYMPUS CAMEDIA C-300zoom


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


浦幌炭鉱は1918(大正7)年、大和鉱業(株)が開発に着手する。
送炭のため馬車軌道を根室本線・浦幌駅(国鉄)まで建設するが開通には至らなかった。
1921(大正10)年には大戦後の不況で休山に陥る。

景気が上向きだした1933(昭和8)年に再開され、ようやく出炭が本格的になる。
炭山へ入る専用鉄道の工事もはじまったが、
1935(昭和10)年の豪雨などの影響で開通は実現しないまま、
1936(昭和11)年、三菱鉱業(株)に買収され、雄別炭礦鉄道(株)の尺別鉱業所の管理下となる。
送炭の問題は索道で山越しに尺別までを炭車で送る方法を考え出し、出炭量を急増させることに成功した。

1942(昭和17)年には専用鉄道の尺浦通洞(約6㎞)が完成。
出炭量もさらに伸びることを期待していたが、
太平洋戦争末期の坑夫の強制配転により、また休山に追い込まれる。

1948(昭和23)年、みたび採炭を開始し、出炭22万トンまで回復するが
その後、出炭量増加の要因だった朝鮮戦争後の反動不況で石炭が売れず、
1954(昭和29)年10月、閉山となった。
 
 
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by mori-to_coa | 2007-01-21 23:45 | 2004
2007年 01月 11日

旧日本陸軍本土防衛陣地・ヒキウス沼電探所

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2003年12月5日・北海道根室市歯舞


根室半島(根室市)には、
第二次世界大戦末期に造られた
たくさんの戦争施設が残っている。

その多くは敵の上陸を防ぐためのトーチカで、
海岸の砂浜やその付近の高台に存在している。
これらは実際に戦闘に使われることはなかったので、
内部の設備以外、ほぼ原型を留めているのが特徴である。

この電探所跡も大きな2つの地下空間を、
「く」の字形の細い連絡通路で結ぶという手の込んだ設計になっていて、
そのコンクリート部分が完全に近い形で残っていた。

高い天井の切り込まれた開口部から降り注ぐ光は眩しく、
通路は今、完全な闇をつくり出している。

全てに疑いのようのない歴史が刻まれていて、
暗闇の奥底から当時の様子が現れそうな気配さえ感じさせる
そんな場所になっていた。


                          ●OLYMPUS CAMEDIA C-300zoom


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


根室市には15基のトーチカと2つのレーダー・アンテナ基礎、
1ヶ所の電探所跡(地下施設)が現存している。
この他にも旧日本陸軍の飛行場や付属する掩体壕・格納庫・防空壕なども確認されている。
また戦後に解体されたものもあるというから、その数は計り知れないものがある。

*撮影は許可を得て行いました。現在は入口が閉ざされ、中を見ることは出来ません。
 
 
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by mori-to_coa | 2007-01-11 20:30 | 2003