遠い記憶、忘れられた風景。

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2009年 05月 30日

旧日本軍本土防衛陣地・桂木トーチカ1, 2

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2008年08月09日・北海道根室市桂木


忘れられない記憶
知らない記憶

流れた歳月に
たどる想いは違っても
その存在は変わらない


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


1944(昭和19)年の夏から翌年にかけて、防衛のために多くのトーチカが建造された。
当時は砂の中に埋設されていたが戦後、砂の採取や飛散によって完全に姿を現しているものが多い。
アメリカ軍による攻撃や破壊はなく、一部は戦後、工事時などに撤去されたといわれているが
今でも、市内の海岸部中心に15基のトーチカと2ヶ所の地下施設などが現存している。

  
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by mori-to_coa | 2009-05-30 18:30 | 2008
2009年 05月 25日

旧 標津ニコライ亭

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2008年07月13日・北海道標津郡標津町字忠類


どれだけ歳月が経とうとも
もらえない栄誉

時代が創り出した虚像


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


1891(明治24)年、東京都千代田区に完成したビサンティン様式のキリスト正教会の大聖堂を
模したドライブイン型の観光商業施設。
レストランを核として、そのデザインが目を惹く建物であったが現在は営業を終えている。
営業形態など詳細は不明。
またこういったデザインの模倣や仮想を実体化した構造物は
公共施設を中心に1980年代から増え出し、街角そのものをテーマ・パーク化していった。


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by mori-to_coa | 2009-05-25 19:15 | 2008
2009年 05月 15日

旧国鉄根北線・第一幾品川橋梁

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2008年07月13日・北海道斜里郡斜里町字越川


偉業ともいえる
人々の労働の結晶を
見上げた

                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


1939(昭和14)年に着工し、翌1940(昭和15)年に完成。
長さ147m、最大地上高21.6mの10連コンクリートアーチ橋で、戦前に造られたものとしては北海道最大であった。
しかし国鉄根北線の工事が1941(昭和16)年に中止となり、戦後再開され開通したが越川駅止まりとなる。
実際に列車が走ることはなかった。
また建設には戦時下で不足していた鉄材、それにかわる竹や木材などの心材も用いない工法がとられたといわれ、
土木技術の高さがうかがえる。
1973(昭和48)年に跨いでいた国道の改良拡幅工事の際に一部が解体撤去されて、
7連と1つのアーチに分断された。

  
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by mori-to_coa | 2009-05-15 18:30 | 2008
2009年 05月 05日

知床開拓地跡(幌別地区)

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2008年07月12-13日・北海道斜里郡斜里町大字遠音別村字岩尾別


多くの人たちが夢見た希望の地
その想いに振り返る

遠い記憶、今は森へ


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


自然の偶然よってつくられた山間部にあるなだらかな土地を農地とするため、
明治時代末、開拓が計画される。実際の入植は1914(大正3)年から始まり、
集団入植によって開拓者が増えるのはその4年後になってから。
戦後の1945(昭和20)年からは食料・就業対策のため農水省によりさらに開拓事業が計画され、
入植者は増加して行った。
計3度の集団入植があり1955(昭和30)には世帯数約60戸(詳しい記録はないが
人口200~300人前後ではないだろうか)までになっている。
入植は政府が推進したものであったが過度の開拓事業の見直し、
高度経済成長による都市部の労働者不足を補うため離農を助成したことや、
知床半島の国立公園化の流れがあり、1966(昭和41)年に集団離村に合意した
(実際には一部が引き続き耕作をしていたため、完全な離村は何年も後のことになる)。
その後、残された家屋等も風雨雪などによりほとんどが倒壊している。
唯一、屋根が落ちずに残っていた国道沿いの民家は2008年の秋から修復されて、
この地の開拓の歴史と自然との関りを伝えるため保存活用されることになった。
また開拓地跡は現在100㎡運動から始まったトラスト用地となっていて、
森林再生事業が行われ保全されている。

*見学・撮影などは道路脇から見えるものだけにしたい。
ヒグマが普通に生息している地域であるため、
緊急時への充分な判断・対処のできない状態で探索は非常に危険である。

 
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by mori-to_coa | 2009-05-05 23:45 | 2008
2009年 04月 30日

旧南兵村三区・門柱

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2008年06月29日・北海道紋別郡上湧別町字屯田市街地


どれだけの人が気づくのか

そこには北海道開拓の
歴史が標されていた


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


おもに北海道の警備と開墾を目的として考えられた制度で、
1987(明治8)年、今の札幌市にあった琴似兵村への入地が最初である。
石狩地方から展開していき、その後内陸部や道東などに広がった。
屯田兵は、200余戸の中隊を一つの単位として兵村を形成。
家族を連れて入地、用意された兵屋(住宅)と、未開拓の土地が均等に割り当てられた。
ここで軍事教練と耕作のほかに、道路や水路などの開発工事、
街頭や特定建造物の警備、災害救援などに携わっていた。
また国内外の様々な作物を育てる試験農場の役目も持っていた。
所管は北海道開拓使で、その廃止後は陸軍省に移管されている。
1877(明治10)年の西南戦争や、日清戦争・日露戦争にも出兵。

ここ上湧別には1897(明治30)年に入地しているが、1903(明治36)年に解隊となっている。
門柱は対で残っていて、また当時の土地区画も現存し市街地形成の基礎となっている。

 
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by mori-to_coa | 2009-04-30 00:00 | 2008
2009年 04月 25日

渡辺煉瓦工場跡

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2008年06月29日・北海道紋別郡上湧別町字北兵村


煉瓦を焼く町は
煉瓦で財をなし
煉瓦で家を建てるのが
ステータスだった。


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5
                            Canon EOS KissDN + EF55-200mm 1:4.5-5.6Ⅱ


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


明治の開国により海外の文化・技術が日本にも広まる。
煉瓦を使用した倉庫やサイロなど建造物が造られ出したのもこの頃から。
北海道では1872(明治5)年に創業を開始した道南の『茂辺地煉化石工場』が煉瓦産業の始まりで、
火災に強い耐火構造である煉瓦建築は、当時の北海道開拓使により支持されていた。
上湧別町では1918(大正7)年、町内が重粘土地帯であるこから藤島倉蔵が『中湧別煉瓦工場』を設立した。
1941(昭和16)年には、渡辺亀助が工場を買収し『渡辺煉瓦工場』とする。
1960(昭和35)年まで製造を続けるが、その後は『興農セラミックス』が製造を引き継いでいる。

残されている煉瓦煙突と倉庫は解体される予定があったが、
保存するために現在は個人が購入して所有管理している。

また煉瓦が基幹産業のひとつだった上湧別町では煉瓦建築はステータスであり、
このほかにも民家・倉庫・サイロなど煉瓦構造の建築物が多く存在している。


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by mori-to_coa | 2009-04-25 13:00 | 2008
2009年 04月 20日

旧国鉄湧網線・計呂地駅

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2008年06月29日・北海道紋別郡湧別町字計呂地


鉄路は失われても
残された想いがあった


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


国鉄分割民営化により多くの地方路線を失なった北海道。
その中でも名寄本線・湧網線・興浜北線・興浜南線・相生線など
複数の路線が短期間に消えた網走支庁管内の鉄道に寄せた想いは今も残っている。
卯原内交通公園・佐呂間町交通公園、この計呂地交通公園など、
駅周辺を市民などの憩いの場にしたケースが多く見られ、今もその記憶に触れることができる。

  
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by mori-to_coa | 2009-04-20 19:45 | 2008
2009年 04月 15日

旧国鉄湧網線・卯原内駅

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2008年06月29日・北海道網走市字卯原内


現れた光景は突然として
現在と過去をつなぎ

蘇る想い出は、
いつも美しい


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


1987(昭和62)年3月19日に廃止となった湧網線は、中湧別―網走を89.8㎞の鉄路で結んでいた。
廃止間際の運転本数は1日5往復、北海道特有の赤字ローカル線の一つであった。
開業は1935(昭和10)年10月10日。

訪れた旧卯原内駅はバス待合室に改装されているが、
現在でもホームと国鉄蒸気機関車9600形と客車それぞれ1両が静態保存されている。
またこの付近の路線跡はサイクリング・ロードになっている。

季節になると卯原内駅付近に広がるアッケシソウ(サンゴソウ)の大群落は、
この路線の車窓の名勝であった。

  
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by mori-to_coa | 2009-04-15 11:15 | 2008
2009年 04月 05日

オホーツク水族館跡 ②

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2008年06月29日・北海道網走市二ツ岩


すでに想い出を
たどることは出来ない

わずかに残された波模様に
潮風の匂いを感じる


                          ●Canon EOS KissDN + EF 55-200mm 1:4.5-5.6Ⅱ


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


オホーツク水族館は全国で10番目の水族館として1956(昭和31)年に開館する。
地元、網走市に面するオホーツク海に生息する魚類、海獣(哺乳類)など約150種・10000点展示し、
市民・観光客を楽しませた。
その中でも北の海にしか生息しないオオカミウオやクリオネの飼育展示が有名であった。
近年、全国的な大型回遊水槽を持つ大規模な水族館の登場によって、
規模の小さな水族館からは客足が遠のきつつあり、
ここも2002(平成14)年8月31日を持って閉館する。
施設のほとんどは既に解体された。

 
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by mori-to_coa | 2009-04-05 12:45 | 2008
2009年 03月 30日

オホーツク・マリンパレス跡

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2008年06月28日・北海道網走市字藻琴


好景気(バブル)に浮かれた人間たちは、
夢の時間・虚像を追いかけ、
日本各地に異質な空間をたくさん造り出した。

今でも、そんな時代を知る女神は
この地で何かを問いかけ続けているようだった。


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


ドライブイン型の観光商業施設。地域の海産物を売る店を核としてレストランが併設されていた。
2005(平成17)年頃まで営業していたようだが、営業開始と閉鎖された正確な年代は不明。

現在、施設は売却され個人の倉庫として活用されている。

 
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by mori-to_coa | 2009-03-30 10:00 | 2008