タグ:鉱山・採石 ( 13 ) タグの人気記事


2011年 11月 11日

旧 国富鉱山

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2010年10月13日・北海道岩内郡共和町国富 / Canon EOS KissX3 + EF-S17-85mm 1:4.5-5.6 IS ■

 
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by mori-to_coa | 2011-11-11 23:45 | 2010
2011年 09月 30日

軟石採掘場跡(石山緑地)

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2010年10月11日・北海道札幌市南区石山 / Canon EOS KissX3 + EF-S17-85mm 1:4.5-5.6 IS ■

 
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by mori-to_coa | 2011-09-30 19:55 | 2010
2010年 09月 17日

旧 早川部落集会所(中外老人倶楽部集会所)

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■ 2009年05月04日・北海道檜山郡上ノ国町字早川 ■


終焉の前に魅せる
刹那の美しさは
『廃墟』という言葉では表せない


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


≪準備中≫

  
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by mori-to_coa | 2010-09-17 19:00 | 2009
2009年 06月 25日

旧 雄武線(北隆鉱山)

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2008年09月20日・北海道紋別郡雄武町字道有林


夢を見ていた

いろいろな人が
いろいろな夢を見ていた

そして私も
ここでその夢のあとを見た


                          ●Canon EOS KissDN + EF-S17-85mm 1:4-5.6 IS


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


1918(大正7)年に鉱脈が発見された北隆鉱山は
1927(昭和2)年、採掘権が日本鉱業に移り本格操業を開始する。
1935(昭和10)年には青化精錬所が稼動したが、
戦時下の効率を優先させた『金山整備』により1941(昭和16)年に休山(事実上の閉山)。
終戦後に新たな鉱脈が探索されたが、ついに本格再開されることはなかった
(鉱脈の規模が小さく総産出量、金3t ・銀12tで終る。
ただ鉱石1tあたりの含有量が37gと鴻ノ舞鉱山より高く、良質な鉱脈だった)。

現在は雄武町中心部から伸びていた鉱山鉄道(簡易軌道)と思われる橋梁跡と、坑口の構造物が残るのみだが、
案内板が設置され鉱山と街(上雄武?)の様子を知ることができる。

  
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by mori-to_coa | 2009-06-25 22:30 | 2008
2009年 01月 03日

鴻之舞小学校跡

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2007年11月04日・北海道紋別市鴻之舞元町


残された学舎に、
この地につづられた記憶を
見る。


                          ●Canon EOS KissDN + EF10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


1918(大正7)年に元山の鉱夫浴場を改修した仮教授場で授業を開始。
鉱山施設や社宅の変動とともに翌年には鴻之舞に場所を移し、1921(大正10)年に尋常小学校となった。
校舎は鉱山の発展による児童数の増加にあわせ増改築を重ね、
1942(昭和17)年には約1600人(31学級)と網走管内最大規模となった記録もある。

常に鉱山の変動に左右され、鴻ノ舞鉱山が閉山となる1973(昭和48)年、廃校になった。

 
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by mori-to_coa | 2009-01-03 01:00 | 2007
2009年 01月 02日

旧 鴻紋軌道

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2007年11月04日・北海道紋別市鴻之舞喜楽町


消えた黄金郷の栄華を、
地図に見つける。

ただ町並みはほぼ失われ
金を運び、人々の生活を支えた鉄路も、
流れた時間の中に消えようとしていた。


                          ●Canon EOS KissDN + EF10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


紋別と元山(鴻之舞)を結んでいた簡易軌道。
開業は1943(昭和18)年6月、途中に9駅が存在していたが名称不明の駅もある。
また路線距離も不明で、廃止も1950(昭和25)年頃と残され記録・資料は少ない。
ただ鴻ノ舞金山で産出精錬された金や銀、
そこに暮らす人たちの生活の交通手段であったのは間違いないようだ。

 
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by mori-to_coa | 2009-01-02 01:00 | 2007
2008年 12月 23日

旧 下川鉱山

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2007年11月04日・北海道上川郡下川町班渓


ゆっくりと
しかし確実に
消えて行く

止まった時間と
止められない時間


                          ●Canon EOS KissDN + EF55-200mm 1:4.5-5.6Ⅱ


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


1933(昭和8)年頃に露頭が発見され鉱区整理が行われる。
1941(昭和16)年に三菱金属鉱山に事業が移され、その2年後から軍需鉱山として開発が促進された。
戦局が悪化すると休山を余儀なくされるたが、終戦後の1949(昭和24)年に操業を再開。
1963(昭和38)年の銅貿易自由化を、合理化で乗り越え国内有数の銅山となる。
最盛期には年産3万3000t、従業員も570人の規模となった。
     
しかし1982(昭和53)年に資源が枯渇し、
以前から経営を苦しめていた経費高騰・海外からの大量の原料輸入にも対抗できずに、
翌年の1983(昭和54)年に閉山となった。
現在でも、休廃止鉱山に多い重金属の流出防止のため職員が配置されている。

近年、鉱山施設解体が進んでいるが、
『浮遊選鉱』の設備の一部が露呈し、山肌にその姿を見ることができる。

 
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by mori-to_coa | 2008-12-23 00:00 | 2007
2008年 12月 16日

旧 珊瑠鉱業所

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2007年11月04日・北海道上川郡下川町珊瑠


緑深い道の奥に
確かにあった賑やかさの
証し


                          ●Canon EOS KissDN + EFS10-22mm 1:3.5-5.6Ⅱ


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


1926(昭和2)年、三井鉱山がサンル鉱業所を開設し、金の採掘を開始する。
戦時中の1943(昭和18)年に休山となるが、
1956(昭和31)年から合同資源産業が、再び採掘を始める。閉山は1986(昭和61)年。

この金鉱山は同じく町内にあった下川鉱山(銅)とともに、
基幹産業の一翼として下川町を支えた存在であった。

 
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by mori-to_coa | 2008-12-16 00:00 | 2007
2008年 03月 11日

鉱山(黄銅)・坑道跡

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2007年08月06日・北海道厚岸郡浜中町


漆黒の闇、
漂う菌類の匂い。

止まった時間は、
危うい表情を晒け出していた。

 
                          ●Canon EOS KissDN + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5
                                           + EF-S18-55mm 1:3.5-5.6Ⅱ


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


関係者等の情報から黄銅鉱としているが、この鉱山について詳しいことは不明。
ただ浜中町には国光鉱山といわれる金鉱山が存在していた記録があるので、それとの関連性を調査中である。

この旧坑道については補強のため坑木がほとんどなく、進入できる距離も20mほど。
そのうえ見てすぐに解る新しい崩落が跡があるため、危険性は非常に高い。

*撮影は地権者・管理者の許可を得ています。

 
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by mori-to_coa | 2008-03-11 00:00 | 2007
2008年 03月 04日

新ウトロ鉱山跡

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2007年07月29日・北海道斜里郡斜里町ウトロ香川


シレトク(地の果て)に求めたもの
開発、それが豊かさへのすべてだった。

今は密やかに眠る。

 
                          ●Canon EOS KissDN + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


明治時代に本格的に始まった北海道開拓は、未開の大地の天然資源も大きな目的であった。
鉱山開発もその一つで、金や銀・銅、鉄などの重要な鉱物を求めて、知床半島にも調査がおよんでいる。
この新ウトロ鉱山は1940~54(昭和15~29)年にかけて試掘が行われたが、
鉛(Pb)・亜鉛(Zn)などが主体で、採算を取れる量でもなかったために本格操業までには至らなかったようである。
ただ時期が戦中戦後の資源不足時に重なるため、それを補っていたものと考えられる。
現在は坑口が完全に崩落し当時の様子うかがえる遺物も少ないが、
10数年ほど前までは、坑道とその中の専用軌道がしっかり残っていたという記録がある。

*稀少動物調査時に撮影しました。このエリアはヒグマの出没地でもあるため、安易な入山は控えたい。

 
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by mori-to_coa | 2008-03-04 00:00 | 2007