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タグ:開拓・入植 ( 10 ) タグの人気記事


2012年 09月 11日

馬場牧場・旧煉瓦サイロ

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2012年09月6日・北海道根室市別当賀 / Canon EOS KissX3 + EF-S17-85mm 1:4.5-5.6 IS ■


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by mori-to_coa | 2012-09-11 20:15 | 2012
2011年 11月 21日

木造牛舎跡

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2010年11月29日・北海道根室市西厚床 / Canon EOS KissX3 + EF-S17-85mm 1:4.5-5.6 IS ■

 
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by mori-to_coa | 2011-11-21 17:00 | 2010
2011年 09月 09日

北海道庁旧本庁舎(北海道立文書館 et.)

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2010年03月29日・北海道札幌市中央区 / Canon EOS KissX3 + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5 ■

 
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by mori-to_coa | 2011-09-09 23:45 | 2010
2010年 04月 02日

茅葺民家

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■ 2009年05月03日・北海道函館市紅葉山町 ■


北の大地に拓かれ
刻まれた日本の伝統


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


≪準備中≫

  
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by mori-to_coa | 2010-04-02 00:00 | 2009
2009年 06月 15日

旧 知床開拓地・サイロ跡

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2008年08月24日・北海道斜里郡斜里町大字遠音別村字岩尾別


忘れられた記憶に
この地の歴史を知る


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5
                            Canon EOS KissDN + EF-S17-85mm 1:4-5.6 IS


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


この地での農作物の生産は種イモとしてブランドまでになった馬鈴薯(ジャガイモの一品種)を除くと難しく、
早期に牧畜への変換も図られている。
1951(昭和36)年には幌別地区、1953(昭和38)年には岩尾別地区に
それぞれ共同牧場・共同放牧地がつくられた。
写真は岩尾別地区に残るサイロ。

 
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by mori-to_coa | 2009-06-15 12:00 | 2008
2009年 06月 10日

旧 知床開拓地・澱粉工場跡

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2008年08月24日・北海道斜里郡斜里町大字遠音別村字岩尾別


過酷だったなんて
後世の勝手な想像かもしれない
自然と共に生きる
それが人間本来の姿だった。


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5
                            Canon EOS KissDN + EF-S17-85mm 1:4-5.6 IS


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


1955(昭和30)年に建設に着工。
この地で生産していた規格外の馬鈴薯(ばれいしょ=ジャガイモ)の種イモを原料に澱粉(でんぷん)を生産する。
しかし4年後の1959(昭和34)年、組合が中斜里に大規模な澱粉工場を誘致するため交換条件を受け入れ、
町内にあった多くの工場を閉鎖とした。この知床開拓地の澱粉工場も同様の経緯で閉鎖となる。
その後、コンクリート製の水槽はサケ・マス養殖に再利用されていた記録がある。


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by mori-to_coa | 2009-06-10 19:15 | 2008
2009年 06月 05日

旧 知床開拓地・ブロック積み建築跡

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2008年08月24日・北海道斜里郡斜里町大字遠音別村字岩尾別


残された痕跡は
その地の生活を語る


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


この知床開拓地を含めて斜里町では多くのブロック積みの家屋・納屋・畜舎などが建てられている。
それは鉄筋などの骨材なしで誰でも簡単に積めたことや、
当時、道路環境の悪かったこの場所までの輸送にも適していたことが考えられる。
正しく生活環境が生んだ建築様式で、この地の風土といってよいだろう。

 
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by mori-to_coa | 2009-06-05 19:00 | 2008
2009年 05月 10日

知床開拓地跡(岩尾別地区)

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2008年07月13日・北海道斜里郡斜里町大字遠音別村字岩尾別


知床の地に切り開かれた夢は
国策と時代の流れに
その終わりを見る


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5
                            Canon EOS KissDN + EF55-200mm 1:4.5-5.6Ⅱ


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


ここでは小麦・大豆・馬鈴薯(ジャガイモ)などの畑作、また牛・豚などの畜産が営まれていた。
生活は自給自足が基本で社会基盤も住民が整えたものが多く、
住む家はもちろんのこと上水道や学校建設、公民館・神社・墓地なども整備され、自家発電も行っていたという。
また開拓地は岩尾別地区と幌別地区に分かれていて、それぞれが村として独立していた。

 
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by mori-to_coa | 2009-05-10 23:00 | 2008
2009年 05月 05日

知床開拓地跡(幌別地区)

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2008年07月12-13日・北海道斜里郡斜里町大字遠音別村字岩尾別


多くの人たちが夢見た希望の地
その想いに振り返る

遠い記憶、今は森へ


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


自然の偶然よってつくられた山間部にあるなだらかな土地を農地とするため、
明治時代末、開拓が計画される。実際の入植は1914(大正3)年から始まり、
集団入植によって開拓者が増えるのはその4年後になってから。
戦後の1945(昭和20)年からは食料・就業対策のため農水省によりさらに開拓事業が計画され、
入植者は増加して行った。
計3度の集団入植があり1955(昭和30)には世帯数約60戸(詳しい記録はないが
人口200~300人前後ではないだろうか)までになっている。
入植は政府が推進したものであったが過度の開拓事業の見直し、
高度経済成長による都市部の労働者不足を補うため離農を助成したことや、
知床半島の国立公園化の流れがあり、1966(昭和41)年に集団離村に合意した
(実際には一部が引き続き耕作をしていたため、完全な離村は何年も後のことになる)。
その後、残された家屋等も風雨雪などによりほとんどが倒壊している。
唯一、屋根が落ちずに残っていた国道沿いの民家は2008年の秋から修復されて、
この地の開拓の歴史と自然との関りを伝えるため保存活用されることになった。
また開拓地跡は現在100㎡運動から始まったトラスト用地となっていて、
森林再生事業が行われ保全されている。

*見学・撮影などは道路脇から見えるものだけにしたい。
ヒグマが普通に生息している地域であるため、
緊急時への充分な判断・対処のできない状態で探索は非常に危険である。

 
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by mori-to_coa | 2009-05-05 23:45 | 2008
2009年 04月 30日

旧南兵村三区・門柱

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2008年06月29日・北海道紋別郡上湧別町字屯田市街地


どれだけの人が気づくのか

そこには北海道開拓の
歴史が標されていた


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


おもに北海道の警備と開墾を目的として考えられた制度で、
1987(明治8)年、今の札幌市にあった琴似兵村への入地が最初である。
石狩地方から展開していき、その後内陸部や道東などに広がった。
屯田兵は、200余戸の中隊を一つの単位として兵村を形成。
家族を連れて入地、用意された兵屋(住宅)と、未開拓の土地が均等に割り当てられた。
ここで軍事教練と耕作のほかに、道路や水路などの開発工事、
街頭や特定建造物の警備、災害救援などに携わっていた。
また国内外の様々な作物を育てる試験農場の役目も持っていた。
所管は北海道開拓使で、その廃止後は陸軍省に移管されている。
1877(明治10)年の西南戦争や、日清戦争・日露戦争にも出兵。

ここ上湧別には1897(明治30)年に入地しているが、1903(明治36)年に解隊となっている。
門柱は対で残っていて、また当時の土地区画も現存し市街地形成の基礎となっている。

 
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by mori-to_coa | 2009-04-30 00:00 | 2008