遠い記憶、忘れられた風景。

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2009年 06月 10日

旧 知床開拓地・澱粉工場跡

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2008年08月24日・北海道斜里郡斜里町大字遠音別村字岩尾別


過酷だったなんて
後世の勝手な想像かもしれない
自然と共に生きる
それが人間本来の姿だった。


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5
                            Canon EOS KissDN + EF-S17-85mm 1:4-5.6 IS


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


1955(昭和30)年に建設に着工。
この地で生産していた規格外の馬鈴薯(ばれいしょ=ジャガイモ)の種イモを原料に澱粉(でんぷん)を生産する。
しかし4年後の1959(昭和34)年、組合が中斜里に大規模な澱粉工場を誘致するため交換条件を受け入れ、
町内にあった多くの工場を閉鎖とした。この知床開拓地の澱粉工場も同様の経緯で閉鎖となる。
その後、コンクリート製の水槽はサケ・マス養殖に再利用されていた記録がある。


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by mori-to_coa | 2009-06-10 19:15 | 2008
2009年 04月 25日

渡辺煉瓦工場跡

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2008年06月29日・北海道紋別郡上湧別町字北兵村


煉瓦を焼く町は
煉瓦で財をなし
煉瓦で家を建てるのが
ステータスだった。


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5
                            Canon EOS KissDN + EF55-200mm 1:4.5-5.6Ⅱ


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


明治の開国により海外の文化・技術が日本にも広まる。
煉瓦を使用した倉庫やサイロなど建造物が造られ出したのもこの頃から。
北海道では1872(明治5)年に創業を開始した道南の『茂辺地煉化石工場』が煉瓦産業の始まりで、
火災に強い耐火構造である煉瓦建築は、当時の北海道開拓使により支持されていた。
上湧別町では1918(大正7)年、町内が重粘土地帯であるこから藤島倉蔵が『中湧別煉瓦工場』を設立した。
1941(昭和16)年には、渡辺亀助が工場を買収し『渡辺煉瓦工場』とする。
1960(昭和35)年まで製造を続けるが、その後は『興農セラミックス』が製造を引き継いでいる。

残されている煉瓦煙突と倉庫は解体される予定があったが、
保存するために現在は個人が購入して所有管理している。

また煉瓦が基幹産業のひとつだった上湧別町では煉瓦建築はステータスであり、
このほかにも民家・倉庫・サイロなど煉瓦構造の建築物が多く存在している。


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by mori-to_coa | 2009-04-25 13:00 | 2008
2009年 01月 20日

ニッタクス十勝工場

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2008年05月18日・北海道中川郡幕別町新町


荘厳なる風景は、
歴史を伝える生き証人。


                          ●Canon EOS 40D + EF-S10-22mm 1:3.5-4.5


   ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


合板を製造する新田ベニヤ製造所は1919(大正8)年に創立。現在でも社名を変更しニッタクスとして操業を続けている。
これら工場関連施設も古く流れた時代を感じさせるが、敷地内にはそれ以前の新田帯革製造所の煉瓦建造物が残っていて、
この地での産業の歴史を伝える上で重要である。

 
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by mori-to_coa | 2009-01-20 19:00 | 2008